『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン

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『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン 夜中に犬に起こった奇妙な事件
Mark Haddon 小尾 芙佐
早川書房 2007-02

 アスペルガー症候群(高機能自閉症)の少年が、隣の犬を殺した犯人を追う異色ミステリー小説。自閉症者と一緒に働いた経験から執筆され、全世界で一千万部を越えるベストセラーとなったそうです。
 正確には「ミステリー」ではありません。犯人は物語半ばでわかってしまいます。
 一方、アスペルガー症候群を正確に描いた作品かというと、それも微妙であって、著者自身「自閉症をテーマにしたかったわけではない」と語っています。
 しかし、少なくとも「アスペルガー的なるもの」の一端を垣間見られることは確かで、何より少し「変わった」少年の内面を通じ、新鮮に輝く世界を再発見できる素晴らしい作品です。文学として、エンタテイメントとして、一級だと思います。
 クリストファー少年による世界の描写が、とにかく美しいです。ちょっと長いですが、お気に入りの下りを引用してみます。

 翌朝、学校に行くバスに乗っていたら、赤い車とつづけて四台すれちがった、ということはきょうはよい日という意味なので、ぼくはもうウエリントン1のことで悲しむのはやめた。
 学校の心理学者のジェボンズ先生は、なぜ赤い車と四台つづけてすれちがうとよい日なのかとぼくにきいたことがある。それからなぜ赤い車が三台つづけて通るとわりとよい日なのか、赤い車と五台つづけてすれちがうと最高によい日なのか、黄色い車と四台つづけてすれちがうととても悪い日なのかとぼくにきいた、そのとても悪い日というのはだれともしゃべらないでひとりですわって本を読んで、昼食も食べない、危険はぜったいおかさない日です。ぼくはどう見ても論理的な人間なのに、こんなふうにとうてい論理的でない考え方をするのには驚いたと先生はいった。
 ぼくはものごとがきちんと秩序だっているのが好きだといった。ものごとをきちんと秩序だてる一つの方法は論理的になることだ。ことに数字とか議論などについては。しかしものごとをきちんと秩序だてる方法はほかにもいくつかある。それがよい日や悪い日がある理由だ。そうしてぼくはいった、会社で働いているひとたちが朝自分の家から出てきて太陽が照っているのを見たら、しあわせな気持ちになる、そして雨が降っているのを見たら悲しい気持ちになる、でもそのちがいは天気だけで、もし会社のなかで働いているとしたら、天気は、よい日になるか悪い日になるかということとはなんの関係もない。
 ぼくはいった。お父さんは朝起きるといつもソックスをはく前にズボンをはきます、それは論理的ではないけれども彼はいつもそうします、なぜかというとお父さんはものごとがきちんと秩序だっているのが好きだからです。またお父さんは二階に行くときはかならず右足から階段を一段おきにのぼっていきます、とぼくはいった。

 「自閉症」「アスペルガー」といった用語を軽々しく使うべきではないでしょうし、「アスペルガー的」というのもミスリーディングな表現だと思いますが、わたし自身におそらくそうした傾向があることもあって、とても共感できました2。といっても、本書はベストセラーになるくらいなので(第一当事者の書いた本ではない)、多くの人の心の中に、こういう少年が住んでいるのだと思いますが。

 本書を読んでアスペルガー症候群に興味を持たれた方がいらしたら、オリバー・サックスの『火星の人類学者』を手に取られることをお勧めします。この本の末尾に収められているテンプル・グランディンという女性が素晴らしいです。
 彼女自身の著作もいくつか翻訳されていますが、一番お勧めなのは『動物感覚―アニマル・マインドを読み解く』です。彼女のテクストはオリバー・サックスほどエキサイティングなわけではありませんが、こと動物の話となると独特の美しい饒舌さを見せてくれます。

  1. 作中で殺害される犬の名前 []
  2. そういえば最近、頭蓋骨の状態と自閉症の関係を指摘するテクストを見かけたのですが、子供時代に頭痛がきっかけで受けた検査で、頭蓋骨の状態について指摘を受けたことがあります。お医者さんは「時々病気の原因になることもあるが、これくらいは問題ない」みたいな軽い扱いだったと記憶しているのですが、もしかすると多少その後の成長や現在のわたしに影響を与えているのかもしれません。今さら何の不満もありませんが。 []



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