その後に起こるすべてに対して自分が寄り添えるかどうか

シェアする

 今の関係を壊したくないし、少しでも傷つける(可能性のある)ことをしたくないから、変なことはしない、というのはまあ普通にあるし、少しもおかしくないのだけれど。
 それはそれで無責任じゃないのかしら、とも思う。思った。
 人と人が関われば、故意にではなくてもうっかり傷つけてしまうことはあるし、距離が近くなればなるほど、そういう可能性は高くなる。わざとではなくても、嫌な思いをさせてしまうことはある。
 色恋圏領域になんて入れば、まったく踏まずに歩くなんてほぼ不可能ではないかと思う。
 問題は、踏んでしまった時、傷つけてしまった時、その後だろう。
 「わざとじゃないから」「わたしのせいじゃないから」と逃げるのか。
 わたしはあなたを傷つけてしまうかもしれない、けれどもその時、傷の手当に最後まで付き合います、というのが本当の責任ではないのかしらん。
 だからこの時、誰が傷つけたのか、故意か否か、なんてことは、一番大事なことではないのだ。
 傷つけたのがわたしであれ、他の誰かであれ、意図的であれそうでないのであれ、そこに傷はあるし、傷が癒えるには時間がかかるのだから。
 責任者がやってきて頭を下げようが、お金を貰おうが、傷が治るには傷の治る手順というのがあって、決まった時間がかかる。
 そうやって少しずつ傷ついて少しずつ治りながら、わたしたちは生きている。
 だから「傷つけたくない」じゃない。それはもちろんだけど、「あなたが傷ついたとき、わたしはずっとあなたのそばにいます」かどうか、だと思う。
 半歩近寄って胸を合わせるなら、そこで問われるべきは、その行為が相手を傷つけるかどうかではなくて、その後に起こるすべてに対して自分が寄り添えるかどうか、だ。
 責任者なんか要らない。



シェアする

フォローする