答えを出す危険、急に変える危険

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 「礼拝は身体に良い」という言葉を、イスラームに比較的理解のある非ムスリムの口から聞きました。まぁ、ムスリム自身にもそう考えている人が沢山いるので、仕方ないことかとは思います。
 何度か書きましたが、身体に良いだの何だの、イスラーム外的なロジック、または純粋に人間知性の及ぶ範囲に、礼拝や斎戒その他の「イスラーム的行為」の根拠を求めるのは本末転倒な筈です。そもそも別に身体に良くないと思うのですが、百歩譲って身体に良いとして、その後の研究で「実は悪かったです」なんてなったら、礼拝やめるのでしょうか。「実は悪かったです」なんて話、健康神話の中にゴロゴロ転がっているじゃないですか。
 と、基本的にはこう考えているのですが、その後あるムスリマと会話していて、「ムスリムの中には、物質的に考える人もいるし、霊的に考える人もいるし、色んな人がいる。その人が『健康に良い』と思うことで信仰の助けになるなら、それはそれで良いのではないか」という意見を聞きました。なるほど、それも一理あるな、と思い、あんまりカリカリするのはやめようと思ったのですが、それと「非ムスリムへの説明の方便として使う」ことは、また別問題です。
 非ムスリムに説明するからこそイスラーム外的な理屈を使う、というのも、これまた五厘くらいの理はあると思うのですが、一方で非ムスリムだからこそ、そこにすっかり回収されてしまう、というリスクもあります。寧ろこのリスクの方が心配です。ムスリムであれば、仮に言葉で「礼拝は健康に良い」と言っていても、信仰すべてをそこに還元するなどということは流石に有り得ないでしょうから。
 一方で、際限のない論争やら無遠慮な質問責めやらを回避する方便としては有効でしょうし、なかなか悩ましいです。
 
 と、書いて気づくことは、正に「際限のない話を遮る方便としての有効性」自体が、一つの陥穽になっている、ということです。
 別段イスラームに限った話ではないですが、何かを分かったと思ってしまうと、そこから先に一歩も進まなくなります。常に進まなければならない義理は全然ないので、それ自体がいけないとは言いませんが、この「停止」が後々爆弾になりかねない領域というのもあります。「停止」してすっかりその解釈が凝り固まったところで、その解釈自体を覆すような情報(例えば「礼拝は実は身体に悪かった!」等)がやって来ると、問われた問い自体が否定されてしまうからです。
 本当のところは、問いは問われるためにあるのであって、答えを持ってきて安易に蓋をしてしまうのは長期的には危険な行為です。そこら中穴だらけだと生活できないというのも事実なので、何でもかんでも開けっ放しという訳にもいかないのが微妙なところですが、下手に相手によくわかる答えを与えてしまうことの危険性というのは、よくよく肝に刻んでおくべきでしょう。
 
 大きく話が飛びますが、世界中どこの地域でも、民間医療的な健康神話というのはあります1。そのうちのいくらかは「科学的」裏付けをされているのでしょうし、「反証」されたものもあるでしょう。
 面白いのは、表面的には正反対のことが「身体に良い」と信じられている場合があることです。一つのものの効能がまったく別様に語られていることもあります。
 エジプト人が「冷房は悪いものではないが、暖房は身体に悪い。外に出た時に冷えるから」というのを聞きました2。「じゃあ冷房のきいた部屋に入った時はどうなんや」というツッコミは野暮というものです。
 こうした話を色々聞いていると、自分たちの伝統的やり方を正当化するように働いていることが多いです。日本で言えば米食が身体に良い、とかいった類でしょう。もちろんすべてがすべてではありませんが、健康神話というのは伝統の評価を強化する方向に働いているものが多いように見受けられます。
 だからこれらの神話や民間療法に根拠がない、と言いたいのではありません。ある程度の範囲では本当に有効なんじゃないかと思っています。というのは、人間、慣れないことを急にすれば、身体を壊すのが常だからです。
 無茶に見えることでもちょっとずつ慣らしていくと意外と適応できる、ということはよくありますが、一方で急に変えると、どういう方向にであれ身体はダメージを受けることが多いでしょう。昔からのやり方を正当化する、というのは「今まで通りにやれ。急に変えるな」ということで、結果としては本当に身体に優しいことも多いのでは、と思います。
 
 そう考えると、もしかすると礼拝も、一日五回長年続けてきたものを、急に何かでできなかったりしたら、本当に身体を壊すかもしれません。アッラー是至大。
 だからといって、やっぱり健康のためにやっている訳ではない筈ですが・・・。
 
 というわけで、オチのないまま、まとまりのない文章を答えを出さずに放置しておきます。

  1. 世界中旅している訳ではないので根拠薄弱ですが、多分そうでしょう(笑) []
  2. 一般に中東地域では「冷えの害」に対する認識が日本よりシビアなようです []