いかに人々は似ているか

 人々は基本的に、互いに似ている。というのも、同じことを感じるのだから。例えば同じ痛みを感じる。すべての生きている人間が、ことを簡単にするために、奥歯が痛むとすれば、二百年前のフランスの王も、三千年前のエジプトの農民も、エチオピアの狩人も、日本の大工も、すべての人が同じ症状で奥歯が痛み、同じ感覚を感じる。驚くべき統一性だ。
 心の傷ついた人すべてが、同じ感覚を感じ、愛する人と死別したすべての人が、同じ感覚を感じ、成功するまで骨折った人が、同じ感覚を感じる。
 人々は互いに似ている。というのも、この世界で人間は誰でも、恋人と会った時には同じくすぐったさを心で感じるから(この感覚をバタフライ、つまりチョウチョというが、なぜわたしたちにこれを表す言葉がないのか分からない。誰にも同じように起こることなのに!)。
 人々は互いに似ている。というのも、誰もがエレベータに乗り、そこに鏡があると、必ず自分を見るから(注意して頂きたいが、これはトイレで鏡を見るときとは異なる。また、この二つは、周囲に人のいるどんな場所にある鏡を見るときとも異なっている)。
 人々は互いに似ている。というのも、独り言を言っているのを見つかると、とてもとても恥ずかしくなって、「独りでやってるそれはなに、お馬鹿さん」なる歌を歌っていたと考えてこれを振り払おうとするから(このことをなぜ恥ずかしがるのだろうか。誰でもやることなのに)。
 人々は互いに似ている。というのも、喧嘩や議論で圧倒されたり、馬鹿なことを言われたのに、敵愾心を満たし誇りを保つだけ言い返せないと、喧嘩が終わってから、ついに見つけた言い返しを自分自身に対して言い返し続け、それを言うべき時に思いつかなかったことで自分を責め続ける。
 喜びは一つ。
 悲しみは一つ。
 不安は一つ。
 挫折は一つ。
 恐怖は一つ。
 希望は一つ。
 正への固執は一つ。
 人々は異なっている、外面的には。しかし内面は一つだ。それが同じ人々である限り。同じ源泉と、同じ運命の限り。

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