誕生と死の共通点

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 一般的な男性は、一回の射精でおよそ二億の精子を作る。中には三億以上という人もいる(鼠は五千万、豚は八十億の精子を一回に射精する)。
 これはもちろん、よくよく考えるべきことだ。わたしたちは、これが、周りがすべて敵の苛烈な競争のために行われることで、これにより一番強くて一番良い精子だけが卵子に到達し受精できる、ということを知っている。しかし大変重要な問いがある。我らの主は、卵子にたどり着く精子をお選びになり、それ故生まれてくる人物を選ばれているのか。それとも物理的な法則にことを委ねられていて、一番強くて正しい精子が卵子にたどり着くのか。この法則もまた、讃えある至高なる御方がお創りになったのだが。
 主はクルアーンにて仰っている。{天と地の大権は、アッラーの有である。かれは御心のままに創られる。かれは、御望みの者に女児を授け、また御望みの者に男児を授けられる/また男と女を混ぜ(て授け)、また御望みの者を不妊になされる。本当にかれは全知にして強力であられる 42:49-50}このアーヤは、主が誰が誰を子としてもうけるかの決定を主が為されている、ということを言っている。素晴らしい、筋が通っている。わたしたちは、医学によって、これがどのように起こるかを知っている。女性の卵子はその染色体がすべてXXであり、男性の精子は、XXを形成するかもしれないし、XYを形成するかもしれない。同じ程度にかもしれないし、違うかもしれない。もし男性の精子が、XXかXYだけだったら、その子は男の子だけや女の子だけになる。子供は間違いなくアッラーから与えられるものだ。そして健康で子供をもうけられない人も間違いなくいるし、長いこと子供ができなかったのに、何の介入もなく突然恵まれる、ということもまた、確かにある。しかし依然悩ましいのは、主は人間に、科学の及ぶ範囲で、この創造の営みへの参加を許されるのか、ということだ。人間が介入すれば、科学者は女性の卵子に男性の精子を受精させ、男の子か女の子を選ぶことができるし、今ならその子がブロンドか黒髪か、目は緑か青か選ぶことができる! 特定の染色体を持った精子を選ぶことのできる薬品を人間は持っているし、こうした類の選択を行うことができるのだ。もう少し経てば、賢さやその他の複雑な性質を選ぶことができるようになるだろう。主は、人間がこのようなことができるままにおかれた。このことは、誕生そのものが運命的ではないことの証左なのか、それとも証左でも何でもなく、アッラーだけがこれらすべての微細を行い得るのであり、人間が介入できたとしても、やはり運命的なものか。主のみぞ知る。率直に言って、本当に分からない。
 死の運命性は、これもまたとても悩ましい問題だ。総てではないにせよ、わたしたちのほとんどは「寿命はアッラーによるもの」と完全に信じている。寿命という言葉はクルアーンに沢山あり、死が定められたものだということを示している。しかしこのことは、二つの非常に異なることを意味し得る。死の運命性とは、主がすべての人間と創造されたすべての生き物の死の瞬間を選ばれている、ということを意味するのだろうか? それとも、神性の知は、アッラーの創造されたすべてのものの死を、予め知っている、というだけなのだろうか?
 この問いは、ただわたしの頭で考えただけのものではない。この議論を刺激する多くの事柄がある。先進国の人々の平均寿命を見てみれば、発展途上国のそれよりずっと高いことが分かる。良いものを食べ、良いものを飲み、良い医療福祉を受けている人たちは、長生きするのだ。等閑にされ汚染されたものを食べ、清潔でない水を飲み、病気になっても良い医療を受けなければ、長生きしない。スポーツをする人は、動脈は広くなり心臓は強くなり、健康も増進し長生きする。煙草を吸い、油を食べ、スポーツをしなければ、動脈が詰まったり肺がんになって死ぬ。この通り、主は死の瞬間を課してはいないのだ。ことは、勉強すれば合格する、耕すものは収穫する、努力するものは見出す、といったようなものだ。
 加えて、病院の手術室と救急治療室のことがある。もしすべての死が運命づけられているなら、医者たちはそこで何をやっているのだ? 良い救急車が、病院のところに良い時間に到着し、何が問題か分かっている優秀な医者のいる病院に届け、手術して治療すれば、病人は助かる。もちろん、アッラーの許しによって、だが。議論の余地もないが、もし主がお望みにならなければ生きることはない。それでもやはり、主は創造された者の手に、病人を救うことができたり出来なかったりする要因を残しておられる。主がわたしたちに残されている事柄は、準備と優秀さと努力に帰せられる。好きなだけ煙草を吸って、ゴミみたいなものを食べて治療もしないでおいて、寿命はアッラーによるもの、と言っているだけだ。
 思うに、死の問題は、人間の努力にかかっている。死の原因の研究、健康への執着、生活の仕方。そしてもちろん、間違いなく、アッラーの手が介入されている時が沢山ある。生を終らせたり、寿命を伸ばされたりするのに。その理由は、主以外に知らないし、これから先知ることもない。しかしこれが起こるのは、筋の通らない物語の中でだ。頭に銃弾を食らったのに死なないとか、健康そのものだったのに突然死んだり、そういった類だ。しかし、病気になった者は、しかるべき薬を飲めばよくなるかもしれないし、そうでなければ死ぬ。この問題のどこに運命性があるのだろうか?
 明らかなことは、考え努力し悩みぬいても、依然ことは大変悩ましく、答えより疑問符の方が沢山ある、ということだ。誕生と死とはアッラーのみぞ知る。