シナリオ

場面1:カイロの通り、タクシーの中

 昼間/屋外
 タクシーの中の主人公が、運転手に急ぐよう促す。
 走っている間、主人公の心の中を映像が流れていく。恋人が、アイスクリームを食べさせてくれるのを思い出す。畑の中で、彼女の後を追って走るのを思い出す。彼女を抱きしめ、年始のパーティーで一緒に踊るのを思い出す。
 現実に返り、また運転手に急ぐよう促す。
ハムディー「運転手さん、急いで、頼むよ」
運転手「わかったよ、旦那、わかったよ」
 場面終

場面2:ヒロインのヴィラの前

 昼間/屋外
 ヒロインが別のタクシーに乗っている(主人公のものとは違うもの)。タクシーには沢山のバッグが乗せられている。彼女が運転手に言う。
ナディア「空港までお願い、運転手さん」
 タクシーが動き出す。タクシーが通りの角を曲がった時、主人公のタクシーが通りにやって来る(ヴィラは通りの入り口にある)。ヒロインのタクシーは動き出していて、主人公は見ることがない。
 主人公がタクシーを降り、扉へ急ぐ。ベルを鳴らすが、応答はない。左右を見まわし、途方に暮れ、拳骨を握り締め、扉の前で悲しみにくれる。
 場面終

終わり

 ナディアは、ハムディーに傷心し、ギリシャの叔父のところで暮らそうと空港へ向かった。ハムディーは、その手にキスし許しを求めようと、仲直りするためにやって来た。三十秒早ければ、彼女に追いつき、結婚し、七人の子供をもうけ、ギリシャでも何でもなく、マスル・ル=ガディード1で終生暮らせたかもしれない。
 このようなことが、この世で起こるだろうか。もちろんだ。
 では、これは運命か、あるいは運か。誰でも好きなように物事を見る自由があるが、わたし個人は、運命だと信じている。
 気をつけて欲しい。もし彼女のたつ前に彼が追いつき、彼女が彼に、ギリシャで暮らしたい、結婚する気はない、と行ったなら、これは彼女の決定だ。しかし、そもそも彼女に追いつかなかったなのなら、これは彼女の決定でも彼の決定でもない。運命だ。
 映画では、作品の中に偶然があると非難される。「なんてこと! 二千万人が住むこの街で、道を歩いていてバッタリ会うだって?」。この類のことは、映画の偶然と冗談に言われる。
 偶然は、この世で最も異論の多いテーマの一つだ。わたしたちの身の回りで起こるできごと、これらすべては偶然か、あるいは運命か。まず最初に、質問に含意されていることを確認しよう。偶然の定義は、第一に闇雲に起こる出来事で、第二に神的な秩序のないものだ。例えば、お茶のコップを運んでいてつまづいて、コップを落として割ってしまい、床を掃除してガラスを片付けて、別のお茶を入れて、それだけ、というのは、これでことが完全に済んでいる。もし激しく転んで、壊れたコップが首に刺さって死んだら(このようなことが皆さんに起こらないように)、これは運命だ。五分遅れて仕事とか何か大事なものを逃したら、この人は運命だと感じるだろう。些細な出来事が、大きな結果を招いたから。
 偶然をよく理解するため、注意してみよう。それはあなたの介入なしに、そもそも選択の機会を与えられる前に起こるものだ。転んで首にガラスが刺さっても、死にもしないしどうにもならないかもしれない。また、すぐに病院に行かないで、自然によくなる、と言って血を流しっぱなしにしていたら、これは運命ではない。間違ったことをしただけだ。病院に行ったら医者が下手な縫い方をして、治るのに一年かかった、というなら、これも運命ではない。医者の間違いだ。病院に行かないというあなたの間違いか、保健省の間違いか、病院の間違いか、そんなものだ。間違いを犯した者がいるなら、それを犯した者の行いであって、運命の為せる技ではない。
 皆さんを混乱させようというのではない。ある医者その人がある瞬間にそこにいた、ということ、これが運命だというのは、あり得るかもしれない。しかしまるで確信はない。わたしの感じでは、大方偶然ではないかと思う。
 誰でも結婚する相手の女性とは、自分で決めたのではない線によって出会う。この線は偶然ではない。伝統的な結婚で、叔母の隣人の兄弟の娘が年頃で、その子と結婚するのでも、だ。これらすべては、決められたことだ。偶然には、このような複雑さで物事を秩序立てる力はない。その力は主が持たれる。しかしこれについてもまた、誰でも異なる見方をする権利がある。
 わたし個人は、大事な出来事については皆、偶然というものはないと考えている。これらは決まったことだ。誰と結婚するか、何の仕事をするか、どれくらい稼ぐか、どこで暮らすか、恵まれるか辛い思いをするか。これらは決められたことだ。友達やあなたに対して影響力のある人、その人がいなかったら違う人間になっていたような人、そうした人々も運命づけられたものだ。繰り返すが、これが真理という訳ではない。ただそう考えているだけだ。
 例えばわたしは、人生で四つの仕事をし、四つの職についたが、これらは全部、最低の安物映画でも、偶然というのは有り得そうもない。
 例えば、自分がアナウンサーをできるとは思っていなかった。そもそもやりたくもなかった。働いてみると、アルハムドリッラー、わたしは上達し、うまくやり、成功した。これは計画されたものだろうか、違うだろうか? 運命か、あるいは運命でないか? わたしについて言えば、紛う事無き運命だ。
 どうか注意して頂きたい。もしわたしが上手くやれず失敗していたら、これは運命ではなく、わたしの失敗だ。ある二人は、結婚するように運命づけられても、この結婚が破綻するかもしれない。これは彼らの問題だ。結婚の運命は子供に結びついていたのかもしれない。そうではないかもしれない。すべてあり得る。しかしわたしにとって筋が通っているのは、運命とはチャンスだけであり、残りはあなた自身にかかっている、ということだ。
 偶然があなたの人生を支配するということはない。なぜなら、あなたは偶然ではないからだ。あなた自身が運命だ。

  1. カイロ近郊の街 []
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