勇気

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 いつも驚嘆させられることだが、人間においてある最も重要な長所の一つは、勇気だ。
 多くの人々が、勇気とは恐れないことだと思っている。また多くの人々が、恐れないなどというものはなく、なぜなら恐怖は人間的な性質であり、人間にとって重要な役割がある、と思っている。この解釈における勇気とは、震える心を抑え、恐怖を制御し、怖いものを前にして正しく振舞うことになる。
 勇気には色々な種類がある。無知から来る勇気がある。敵の強さを知らなければ、恐れることもない。もし思っていたより強かったら・・お目にかかれて光栄です、という次第だ。
 信頼を源泉とする勇気がある。できることを知り、自身を知り、信じ、そして勇気を持つ。
 信仰を源泉とする勇気がある。信仰は、わたしの考えでは、人間に与えられた最も大切な益だ。それは人を安心させ、安心は大抵勇気に繋がる。信仰は、人間を最も勇敢にする。人間は、神に創造され、世界は神が創造したのだと本当に信じると、勇敢になる。いつだって。恐怖を創造主にお任せすれば、創造主は勇気を与えられ、満悦されるのだ。
 信仰による勇気のように、外からでは分からない種類の勇気がある。例えば、一文無しになっても、主が恵みをくださると信じ、恐れることがなければ、これは勇気だ。しかし、通りですれ違っても、その勇気は目に見えない。
 別の種類の勇気は、目で見ることができる。戦争での兵士の勇気。デモでのデモ隊の勇気。海での船乗りの勇気。競技場での選手の勇気まで。最初に飛行機を作り、飛ぶか落ちるか試した人間の勇気。驚くべきものだ、勇気というものは。
 この話を始めたそもそもの理由は、世界を眺めるに、それがとてもとても臆病だと思ったからだ。誰もが死を恐れ、この世の何でも失うのを恐れている。誰もがただ恐れ、わたしの見るところ、必要より大分恐れている。
 実は、鳥インフルエンザのパニックから、このことを考えていた。伝染病が世界を襲ったら、感染して死ぬかもしれない(主の御名を我らの元に1)、ということを、どれほど想像したくないというのか。まるで、この世の長い歴史の中で病に死した人々より、わたしたちの方が優れてでもいるかのようだ。果ては「災厄が外に、遠くとなるように2」と言う始末だ。外でも遠くでもないのに。そんなものは、いつでもどこでもあるものだ。わたしたちが、見ないようにしているのだ。
 人々は、経済危機すら恐れている。まるでわたしたちが、問題や危機から防衛されていて、わたしたち皆が、わたしたちの身にもわたしたちに恵まれることについても、何一つ悪いことが起こらず、長い人生を送れるとでもいうかのように。どうしてそんなことがあろうか。こんな考えがどこから出てくるのか。
 (もし言うことが許されるなら)主は人間を決してあざ笑いはされない。わたしたちが生きているこの大地は、創造されたその時から、病気や伝染病や火山や地震やイナゴや災難で一杯だった。この世はそういう風に創られているのだ。ただわたしたちが考えず、忘れているだけだ。
 個人的には、経済危機やインフルエンザの流行やリビア熱や紅海のイナゴや、わたしたちが生が過酷で多くの労苦を要すると考えるあらゆる事柄について、幸福であると言いたい。その中で年月を過ごし、時折平安を感じるものだ。
 これこそ心を鍛えるということだ。勇気を鍛えているのだ。絶えず死に直面している戦場の兵士は、勇気を鍛錬することで勇敢になる。ボクシングの選手や、サッカーの選手だって、試合の間中激しく戦い、勇気を保ち続けられるのは、勇気を鍛えているからだ。
 世界のほとんどの住人、今日の若者は、第二次世界大戦以来(わたしたちについてはイスラエルとの戦争以来)このような酷いことに見舞われていない。
 遂にわたしたちの番が来たのだ。歴史の一部となるために。たとえ死者のページに記されようとも(もちろん、これには記入されないといけない)。遂にわたしたちの番が来たのだ。危機や災難に直面し、勇気を証すために。もし証せなかったら・・わたしたちの後にやってくる者たちに、これを証すべく、示唆を与えられることを願う。
 試練は、人間の一部であり、取りこぼしのないものだ。人に課せられているのは、困難に向かうことなく、前へは進めない、ということだ。痛みなくして学ぶことはできない。酷く骨折る危機がなければ、脆弱になる。わたしたちは弱くなってしまった。
 親愛なるこの世の執着する人よ、親愛なる永遠に生きたい人よ。親愛なるあらゆる地の恐れる人よ。恐れるな。いずれにせよ我らは死ぬのだ。「お大事に」だ!3

  1. お大事に、のような意味。悪いことに言及する時は、このようなドゥアーや文句が添えられる場合が多い []
  2. リァル・エリア リィリアリゥ ル畏ィリケル韓ッ 悪いことが起こりませんように、という決まり文句 []
  3. リィリケリッ リァル・エリア 災厄が遠のきますように、という決まり文句に続いて、笑顔の顔文字が書かれている。こうした文句を批判した後で、敢えてこの文句をジョークとして締めに使っている []