ところで、すべては重要ではない。重要なのはあなただ

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 こういう考えがある。本当のところ、まったく本当に、わたしたちは誰でも、自分の頭の中に世界を持っている。「世界は、人間知性の中にある」とサラーフ・ジャヒーンが言う通りだ(この四行詩は別のことを言っているのだが)。世界をいかに見るかが、世界がいかに振舞うかを決めている(もちろん、わたしにとっての、だ)。だが、何だって、わたしにとってでないとしたら、わたしには何の重要性もない。世界は幸せで幸せで幸せになるかもしれないが、わたしがそれを憂鬱なものと見るなら、憂鬱なものとなる。世界が憂鬱で意気消沈させるもので馬鹿げたものになるかもしれないが、わたしが素敵だと思うなら、素敵になる。わたしの世界は素敵になる。
 このことは、例えば心や頭の病気を考えれば、ずっと簡単に理解できる。人間は、他の人間と同じような人生を送っていれば、普通ということになる。詳細にわたる世界全体が、他の人達と同じように見えている。思っていること、信じていること、理解できないこと、好きなこと、嫌いなこと、考えていること。それから、本当にちょっとした問題が脳に生じる。酵素が多めに出たり不足したり、電気信号が多かったり不足したり、ちっぽけな毛細血管が詰まったりして、すべてが変わってしまったり、まったく消えてしまったりする。
 まったく、恐ろしい考えだ。頭の中にある、考えや思っていることや意見や感情に至るまで、世界に対する見方全体が、手の出しようのないこと、触りようがないこと、守りようもないことの中にある。
 世界全体が頭の中にある、ということが分かれば、見えているこの世を帰ることもできる、ということが分かる。本当に世界を統べるようになる。わたしが人生はバラ色だと思うなら、人生はバラ色なのだ。
 人間は、苦悩や逡巡や挫折が、いかに自分を苛もうと、心を保つことを学ばなければならない。心を保たなければならないのは、それこそがすべてを握っているからだ。あなたの心が、あなたの世界だ。
 いかに世界が醜くても、その中に美や真理や真実や善を探すことはできる。醜さにも関わらず、そこで幸せに生きることはできる。時に苦悩を抱くことがあるにしても、挫折を味わったり、孤独であったり、貧しかったり、悲しかったりしても、人間は、少しの美しき希望、いくらかの美しき忍耐、いくらかの世界への好意、そして世界への愛にすがることができる。それが彼の人生なのだから。
 間違いなく、できる。起こることすべて悪から来ているような世界が今なお存在していることが、それが可能であることの最大の証拠だ。

 「美しくあれ、されば美しき世界を見よう」イリヤ・アブー=マーディー

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