すべては難しい

 すべては・・もし新しいテーマを決めて、題名を書いて言葉を探すことは、難しい。よく学ぶことは難しい。やっていることを巧みに為すことは難しい。そもそも、この世で何をしなければならないのか、何の仕事をしてどうやって生きるのか、何をして何をしないのか、ということも。人々を愛しその過ちを許すことも。自分の決定を認め、それを正すために努力することも。自分の過ちを認めその責任を負うことも、難しい。将来のために計画を立てることも、難しい。原則と十分な力を備え、それを守ることも、難しい。
 健康のために食事に気をつけ運動するということすら、難しい。女性が美しさを保つのも、難しい。虫歯にならないように医者に言われた通りに歯を磨くことも、難しい。
 知るということは難しい。この世での自らの位置を知ろうと、知見を広め学び読み考えることは、難しい。
 気を配ることは難しい。回りの人々に気を配り、正しいことと間違ったことに気を配り、地球に気を配り、未来に気を配り、自分に気を配り、自分の人生に気を配り、自分の運命に気を配り、自分の良心に気を配る。これらは全部難しい。
 このテーマについて考え始めて以来、最も難しいことを見つけようとしている。絶対的に、という意味ではもちろんない。絶対などというものはないのだから。人々は互いに異なるし、境遇も異なる。だが今の時点では、一番難しいのは、正しくないと思っていることを変えることではないか、と思っている。この広い世の中全体と多くの人々の中から、より良く変えられることを見つけ、変えること。もちろんすぐにではない。まずはじめに変える必要があるのは何なのか知り、どうやって変えるのか知り、やってみて、ダメだったらまたやってみて、またダメだったらやり続け、死ぬまでやり続けるのだ。
 世界全体を変えた人々が沢山いる。グラハム・ベルは、電話を発明した時に世界を変えた。フレミングはペニシリンを発見した時に世界を変えた。だが大きな強みは、あなたは世界を変えるのに、これほどまでのことをする必要はない、ということだ。ソクラテスになり、書かれた歴史上はじめて、公正とは何かを問いこれを行う、という必要はない。自由と平等のために戦うことは条件ではないし、ものごとを変えるために、ガンジーやマンデラやマルコムXやゲヴァラになる必要はない。
 変えるために、世界全体を変える必要はない。ほんの一部分だけでも良いのだ。自分の分にあった小さな部分で良いのだ。誰かに何かを教えても、世界は変わる。苦しみ落ち込んでいる友人に話しかけ、窮状から希望を持って立ち上がらせるとか、それだけでも、世界は変わる。誰かに優しくすれば、彼は他の人に優しくなって、それが集まって、世界は変わる。地面に投げ捨てられた紙くずを片付ければ、世界は変わる。あなたがいなければ紙くずはそのままで、あなたがいることで紙くずはなくなったのだから、あなたは世界を変えたのだ。
 非常に多くの人々が、これら以上のことを語っている。彼らのうちのいくらかは、大きな変革と影響を為すことができるのだろうが、すべての人がそういうわけではないし、そもそもすべての人がそんなことをする必要はない。求められているのは、禁欲的天才で、飢えに耐えやせ細り、平和を愛し、それを作り出したガンジーが、こう言ったようなものだ。
“Be the change you want to see in the world”(汝、世界に見出されたき変化たれ)
 それだけだ。突然、気付いたろう。つまり、上で見たようにすべては難しいし、同様に上で見たように、最も難しいのは変えるということなのだが、変えることはちっとも難しくなかったのだ。必要なことのすべては、人々が本当に変えたいと望むことで、そうすれば何をすべきかも分かるのだ。

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