服従

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 この服従という言葉はとても奇妙だ。この世で最も様々な意味のある言葉の一つだ。戦争での服従(降伏)は不義であり、真理への服従は美徳であり、シャイターンへの服従は悪徳であり、アッラーへの服従はすべての主題だ。
 この言葉はそもそもどんな音だろう。服従(イスティスラーム)。音楽のようだ。
 服従には多様な種類があり、悪いものも良いものもある。心への服従はリストの筆頭に来る。心が、受け入れがたいものを求めたら、しばし抵抗し抗い、それから「もういい、だめだ」と服従する。時には、心への服従という同じものが、良いことでもある。心が本当に求めていることを必要としているなら。抗ったところで、あなたの為にも心の為にもならない。この話は、小さなことではっきりすると思う。例えば、あなたが抑圧され身動き取れず、頭はいっぱいいっぱいで、朝から仕事があるのだけれど、心が好きな映画を見ることを求めている。この状況には、三つの解決法がある。第一に、知性に従って眠ること。これはあなたにとってはある程度良いことだが、終始この調子ではあなたの心に良くない。第二の解決法は、映画を見るのだが、良心が終始責め続ける、というもの。これはあなたにとって良くないだけでなく(朝には疲れているから)、あなたの心にとっても良くない(ずっと心を傷めつけ、窮屈にさせ、映画の二時間が身に響くから))。第三の解決法は、賢いものだ。まず、毎日そんな風にはしない。そうすればずっと無駄なことになる。しかし心が本当に映画を求めている時には、睡眠のことも忘れ、朝疲れているとかいうことも考えず、雰囲気をもって気持よく楽しんで、幸せに満足してベッドに入る。
 服従の最も素晴らしい種類のものは、山ほど問題を引き起こすかもしれない、という問題はあるが、愛への服従だ。なかなか認めなくて、遂には服従に至る。なんたることか、愛への美しき服従。確かに問題になるかもしれないが、それは犠牲というものだ。重要ではない。重要なのは、服従しなければ、生涯その喜びを知ることもない、ということだ。服従しなさい、服従しなさい、皆で!
 また、ある思想への知性の服従もある。拒んで拒んで拒んで、気に食わなくてあら探しし1、それから服従する。言っておくべきなのは、この種類の服従に抗せられるのは、最も強く自制する者だけだ。
 運命への服従は、常に良いものというわけではない。もし変えうることに服従するとしたら、脆弱で屈服し臆病である、ということだが、もし変えることのできないものに服従するなら、哲学者になるということだ。

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