チーズの詩

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チーズを手に入れるたびに
何日かするとチーズがなくなる
またチーズを手に入れて
また何日かすると
またチーズがなくなる
それなら沢山手に入れよう
チーズを沢山手に入れる
すると腐った
またチーズを手に入れた

 これが詩でも何でもないって分かっている。ちょっとふざけただけだ。
 この食べ物の話には悩まされる。人間が必要とする他の何でもなく、食べ物の話だ。確かに人生のすべてのものには、メンテナンスというものがいる。そうでなければ、ダメになって動かなくなってしまう。仕事、家、家族、ガールフレンド(ボーイフレンドも、女の子に怒られないようにね)
友達、身体、知性、魂。すべてメンテナンスが必要だ。ただ、食べ物は自分だけの問題だ。
 食べるということは、毎日食べるということだ。毎日食べる。毎日。一生ずっと毎日だ。お休みというのはない。毎日何かをお腹に入れないといけない。生きて健康でいるために。僕たちだけじゃない。生き物は皆んなそうだ。生きている限り食べないといけない。草木であれば少し話は易しい。食べ物を探して動きまわる必要はない。誰かが水をやるか、天が水をやるか、あるいは地面の下の水まで届けば生きるし、なければ死ぬ。土が豊かなら大きくなるし、貧しければ貧相になる。
 草木のことは置いておこう。僕たちみたいな生き物、自分で恵みを探し求める生き物の話だ。天才的じゃないか。彼の為した他のすべてと等しく、僕の目には神の天才と映る。主は怠け者に居場所がないようこの世を作られた。ブラブラしていれば死ぬだけだ。立ち上がって食べ物を探して食べれば話は終わりかというと、そうではない。ちょっとすれば、あるいは大分経ってからかもだけれど、またお腹が減ってくる。また食べないといけない。主は生の第一条件を、動き恵みを探し求めることとされた。蟻でも像でも人間でもだ。もちろん、人間にも動物にも、それほど食べるに困らないのはいる。例えばパンダは、竹のあるところで、食っちゃ寝食っちゃ寝して死ぬまで一生いればいい。ラクダは食べ物を求めて何日も何週間も砂漠を歩く(暑くなければラクダは四週間も食べ物なしでいられる!)。それでも、食べなければ最後には死ぬ。
 どうしてだか分からないけれど、読者諸兄が今、これから僕が、生きるために働き骨を折ることの重要性について長々話始めるんじゃないかと思っている気がする。それが自然の与える最初の教えだから、って。でも僕はそんな話がしたいわけじゃない。そんなこと、改めて話すこともないだろう。単にチーズの詩をお目にかける場所が欲しかっただけかもしれない。

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