人生という名の映画

 人生を長い映画だと考えてみよう。この世にやって来てから去るまで、常に同じスピードで流れる。退屈な時にはゆっくり流れているような気がするし、色んなことが次々起こると凄いスピードに感じるけれど、本当のところ常い同じスピードだ。
 大事なこともそうないことも、同じだけの時間がかかる。いつも同じスピードだ。
 興味深いのは、この映画では常に物事が起こり続ける、ということだ。もし誰かが寝ている(つまりあなたが寝ている)場面であったとしても、やはり人生には何かが起こっている。誰かが彼について何か言ったり、考えたり、何かを彼のために用意していたり、愛していたり、嫌っていたりする。常に何かが起こっている(たとえそれを知るのが二十年後になったり、あるいは一生知ることがなかったとしても!)。フィルムは止まることなく流れる。
「このシーンをもう一回見たいんだけど」
「ダメだ、一回きりだ」
「じゃあちょっと止めてくれない? 今のシーンについて考えたいんだ」
「勝手に止まればいいが、俺は止まらない」
 映画館みたいなものだ。ちょっと大きな声で笑ったりすると、俳優が何を言ったのか聞きのがす。一瞬気が散れば、大事なものを見逃すかもしれない(「え、何が起きたの?」と尋ねる相手はいないという前提で)。総てが一度しか口にされないし、誰かが説明してくれたとしても、自分の目で見、自分の耳で聞くのとは違う。これも映画館と一緒だが、周りの人が物音を立てると、すごく小さな音だとしても、何かが見逃される。
「このシーン飛ばせないかな。つまんないし」
「ダメだ」
「じゃあ・・」
「ダメだ」
 この世に来てから去るまで、常に映画が流れている。どんな理由であれ、立ち止まる度に何かを見逃す。
 人生を映画のように考えることで一番良いのは、この見ている映画が大好きになって涙することもできるし、共感することもできるし、今ひとつだと思ったり、大声で登場人物に注意したり(聞こえてでもいるかのように!)できるが、それでも終わる時には終わる、ということだ。確かに、精神的な影響というのはある。幸せでハッピーな影響であれ、不幸でつまらない影響であれ、長く続き永遠に変わらない影響であれ、一週間しか続かない影響であれ。しかし最後には、自分の生活に戻り、映画の中で起こったことはどこかに行ってしまう。
 では、人生という映画も同じように扱うことはできないだろうか。心動かされ、気持ちを分かち合い、影響されするが、見ているもの総てを、映画館の巨大スクリーンに映し出されている長い映画として扱うのだ(この映画の根本的な違いは、見ている先から脚本に参加できるということだが)。
 もし人生を映画のように眺められたら、楽しみも間違いなく増すだろう。ちょっと離れて見た方が、よく見えるのだ。全体像を見渡せて、悩んだり苛立ったり短気にならずに見ていられる。
 映画と人生の違いについて考えたいなら、映画は一時的なものだけれど、人生は生涯続くと言える。しかし人生だって一時的なものだ。ちょっと長め映画くらいだ。
 誰でも映画の最後には死ぬのだと分かっている。確かに、あとどれくらいでどこでどうやって死ぬのかは知らない。でも死ぬことは知っている。ちょうどある種の映画では、映画の最初に最後の場面が来るよう監督が構成しているように(あるいはアホな映画か)。それでも僕たちはこの映画を見る。何がどう起きたのか知るために。物語を追い、それを生きるために。
 では、めくるめくシーンの押し寄せる我らが物語を生きようか。願わくば、大事な場面を見逃さないことを。
 「めくるめく」ってのがいいだろう?

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