それは、見ることのできないはずのものが、世界の一部に具体的に張り付いている、一つの染みなのだ

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 わたしの存在と神の存在はとても似ている。
 わたしの存在の確からしさほどに、神の存在が確かだ、というより、神の存在の確かめようの無さと同じように、わたしの存在が疑わしい、という意味で。
 わたしの存在の確からしさは、神の存在の確からしさによってのみ支えられる。それは、世界の収束する透明な一点に、何か染みのようなもの、不恰好な痕跡が残っている、ということだ。その染みは、純粋な抽象の核にある、猥雑なまでの具象だ。
 神の存在の具象性は、わたしの存在の具象性と並行的であり、わたしの単独性は、神の単独性により支えられる。というより、両者はお互いに支え合っている。つまり、<わたし>と神は併せて一つなのだ。
 神の存在の確からしさによって、わたしの存在は確かなものとなり、わたしはわたしの疑わしさから解放され、獣のように美しい、眠りのような確実性の元に回収されかけるが、だがしかし、本当のところ、わたしは存在しないのかもしれない。
 というのも、もしも完全に眠りにつけば、やはりわたしは、獣のように存在しない。その時、神もまた存在しない。
 しかしわたしは、残念ながら完全に眠りにつくことはなく、それゆえ、神は、地平線に沈む夕日を追いかける飛行機のように、わたしの臨界で輝いている。
 それは、見ることのできないはずのものが、世界の一部に具体的に張り付いている、一つの染みなのだ。



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