今日のタハリールと距離感

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 今でも金曜日はデモをやっているらしいので、例のタハリール広場に行って来ました。毎日通っていた場所がすごいことになっていたので、テレビで見たときはびっくりしていたのですが、今はすっかり落ち着いて、基本的には通常通りという感じです。
 ここ数日ブラブラ歩いた程度では、格別変わった様子は何もないです。厳密には多少治安が悪くなったところがあるようですが、もともと非常に治安が良い国なので、テロだの暴動だのより道路の横断に気をつける方がずっと重要でしょう。
 ナイル沿いのナントカ庁がまるごと焼けていて、空爆跡みたいですごい風景でした。廃墟マニアならたまらない一品です。
 警察が信頼を失った結果、交通警官などが不足している、と聞いていたのですが、わたしが歩いて見た感じでは、現時点では前と変わらない程度には交通整理はされています。前と同じということは、相変わらずカオスということですが、心なしか皆んな前よりは少し秩序だっている気がしなくもないです。
 ダウンタウンにいつもいた緑のトラックの治安部隊がいなくなりました。道が広くなって結構なことじゃないでしょうか。
 また、金曜日の人出が大分減っていて、シャッターを下ろしている店もあります。これは暴徒を恐れて、というのもちょっとはあるでしょうが、主に客がいないので商売にならん、ということかと思います。

 さて肝心のタハリールです。友人には「危ないから行くな」と言われていたのですが、今日はデモといっても至って小規模で、広場というか、あのロータリーの真ん中のところで三々五々集まって、口泡飛ばして激論を交わしている、というだけでした。これはまぁ、いつものことですし、政治的にセンシティヴな話題でもこうしたオープンな議論ができるのは良いことだと思います。
 エジプト人は元々議論大好きで、かつ議論を仕切るルールみたいなものも共有されています。オーディエンスが介入して「それは違う」「アンタの言う通りや!」等々判定を下してくれるので、相当エキサイトしてもそれなりに収まるところに収まります。万が一ヒートして殴り合いになっても、必ず周りが止めるので、大事には至りません。
 周りにはホンモスやら国旗やらを売っている商売人がたむろしています。
 平和だなぁ、と思って歩いていると、ペイント屋の兄ちゃんがわたしの手にエジプト国旗のペイントを始めました。ちょっと油断してました。これはボッタくる気だな、と思っていると、5ギニーだと言われます。まぁ高いですが、ボッタクリというほどでもないです。
 するとそばにいたオッチャンが「ダメだ、5ギニーなんてあり得ない、こんなもんタダだ、俺たちの中に泥棒野郎はいない」と介入してきます。次々に他の兄ちゃんらも入ってきて、ペイント屋と大激論です。しまいには最初のオッチャンが2ギニー出して、「これ持って失せろ、俺は何もいらない」と、ぷいっと行ってしまいました。
 こんな大激論になるくらいなら、5ギニーくらい払っても良かったのですが、既にわたしが一人で決めて良い状況ではありません。こういうシチュエーションは、エジプトでは非常に頻繁にあるのですが、尋常ならぬ義気に溢れたオッチャンたちに胸が熱くなりました。
 申し訳ないのでわたしも2ギニー出して、ペイント屋には4ギニー握らせてハラース、これでおしまいよ、となりました。
 危険というほどの危険もないし、何かあっても必ず何とかできるという自信があったのですが、外国人の女が一人でウロウロしていると、それだけでトラブルの原因になって迷惑をかけてしまうかと思い、早めに引き上げました。ジャーナリストでも何でもないし、怪しいと言われれば、まったくもって怪しいのも事実ですから(日本でもエジプトでも)。

 というわけで、別に何事もないタハリールだったのですが、この国は何度来ても、不思議な安心感があります。
 もう、ありとあらゆることが予定通りに進まないし、道路横断は命がけだし、口の悪いオッチャンとか不躾な若者とかがとんでもない言葉を投げつけてくることもあるし、外国人と見ればあの手この手でボッタくろうとする奴らもいっぱいいるのですが、それでも東京より安心します。
 なんなんだろうこれは、と考えていて、まったく極私的な連想として、武術的な距離のことを思い出しました。
 わたしは若かりし頃にかじった程度で、別段心得というほどのものもないのですが、言うまでもなく格闘技・武道では距離というのがとても大事です。ただ、距離というのは離れていれば安全というものでもなく、武器でも徒手でも、一定以上に距離が離れてしまうと、飛び込んで当てるという戦いになってしまい、これでは得物が長いとかリーチがあるとか、絶対的なパワーがある者がどうしたって有利です。
 ではどうするのかというと、「接触はするけど密着はしない」レンジというのが、非常に大事になります。これは武道・格闘技の種類によっても全然違うと思うので、単に個人的な経験で言っているだけですが、武器で言えば切先が接するあたり、徒手ならボクシングの中間距離よりちょっとだけ入ったあたり、その辺で相手に粘り付きながら崩すとか、そういう世界が一番豊穣になってくるのが道理かと思います。
 武道論について語る資格はゼロなので、言いたいことだけ言ってしまえば、距離というのは離れていると安全というものでもなく、ちょっと触ってコントロールし合ってるくらいが、一番豊かでかつ結構安全だったりする、ということです。この距離は、気を抜けばすぐに打撃をもらう距離なので、怖いといえば怖いのですが、離れてしまうとますます大きい人とは勝負にならなくなります。
 本題に戻りますと、エジプトにいると常に人との関わりがあって、道を歩いてバスに乗るだけでも相当な人と何がしか言葉を交わします。これは面倒臭いと言えば面倒臭いのですが、ちょうど手と手が触れて視覚に頼らなくても相手の動きが感じられるようで、妙な安心感もあるのです。実際、違う種類の人間がたくさんいる世界では、こういうやり方の方が結果として安全なのではないかと思います。
 少し前に「日本の秩序は『迷惑かけないから迷惑かけるな』だけれど、台湾の秩序は『期せずして迷惑かけちゃうかもしれないけど許せ、その代わりお前もちょっとくらい許す』だ」という指摘を目にしたのですが、エジプトも後者のスタイルで、おせっかいで図々しいけれど寛容、というのが基本です。
 日本のやり方は、成員のツブが揃っていて同じ価値観、同じ倫理観を共有している分には悪くないですし、秩序だって社会が一丸となって進む時には大変合理的に働くかと思いますが、ちょっと変則的な事態が発生すると、すぐにヒステリックな反応に転じてしまう弱点があるように見えます。
 こんなことを書くと、いかにもビバ共同体で、人間大好きコミュ力上等みたいですが、わたしは相当人間と関わるのが嫌いな方で、基本的に日本では著しく引き篭っている人です。ですから、面倒なので極力コミュニケーションなどとりたくないのですが、結果としてある程度ペチペチ触りあっている方が、安心で安全な暮らしがエジプトではできてしまうのです。
 言っている当人が日本では実行する気すらないので、あまり発展性のないお話なのですが、とりあえずわたしは日本、というか東京は歩いているだけで怖いです。道路横断が冒険で、時々テロがあっても、カイロの方がよほど安心します。
 まぁだからと言って、物質的には暮らしやすい場所だとは全然思わないですけれどね・・・。