友人二人に薦められたこともあって、映画「かいじゅうたちのいるところ」を見てきました。
結論から言うと、ちょっと期待外れでした。
原作の絵本はまったく知らないのですが、正直、あまりにも「ユング的」というか、「箱庭療法やん」と、ちょっと引いてみてしまったところがあります。象徴関係にもう少しひねりがあれば、素直に見られたのかもしれませんが。
キャロルの「どうにもならなさ」は根深い問題で、どういう形で映画なりの解答を出すのか期待していたのですが、その点の決着はラストでもつかず。もちろん、こうした問題に最終的解決などあるわけもないのですが、せっかくフィクションなのですから、仮構的でもできすぎたものでも、作家なりの答えを見せてもらいたかったです。
端的に言えば、この世界には父が不在なのであり、キャロルの「どうにもならなさ」(もちろん主人公の子供自身の「どうにもならなさ」である)は、彼が大人の男になることで乗り越えられるしかないのですが、「かいじゅうたち」の島にも、映画の中の街にも、父は不在のままです。
以前はもう少し「キャロル的なるもの」に寛容な気持ちと理解を持っていたと思うのですが、自分が歳を取ったせいか、段々と単に「こじれてしまった少年性」としてしか見られなくなってきました。
多分、男性というものは、多かれ少なかれこうした要素を内に抱えているものだと思うのですが、結局それは強い父によって制圧されるしかないものであり、それなら斜に構えず父になってもらうしかないでしょう。
音楽と映像については、かなり良いです。
かいじゅうたちのいるところ-オリジナル・サウンドトラック カレンO・アンド・ザ・キッズ ユニバーサル インターナショナル 2009-12-23 |