人間と神様は、併せて一つ

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 大分以前に本にしてもらった小説の中で、「動物宗教」のことをちらっと書いた。
 脈絡もなく数行だけ挿入されるエピソードだが、世界の終わりにふと動物の心が読めるようになり、覗き込んで見ると、動物は皆一つの宗教を信じていて、ただ粛々と世界の終わりを待っている、というものだった。
 この小説のほとんどは、啓示のような思いつきから生まれているので、なぜこんな発想をしたのか、自分でもよくわからない。
 ただ、動物が好きで、日がな一日獣を眺めていると、死を恐れず、淡々と日々のサイクルを繰り返し生きて死んでいく様は、個があると同時に、一つの大きなプログラムと一体であることを、大前提として成り立っているように見える。
 人間は多分、神様と二つで一つなのだ。

 多くのムスリムと、人間と動物について語り合った。
 わたしはどうしても、動物と人間を連続的に考えたくなってしまう。
 だが、彼らはそうは考えない。動物は善悪を知らない、だから善悪を勘定されることもない、と言う(イスラーム的には、二人の天使が肩のところで善行と悪行をカウントしている、というような発想をする)。
 動物が裁定されないのは、そもそも善悪を知らないし、死も知らないからだ。
 人間は余計なことを知っている。
 これは本当に余計で、できれば知りたくなかったし、獣のように生まれ、獣のように死にたかった。
 だから、これを補完するのに、神様が要る。
 人間と神様は、併せて一つだ。

 動物は多分、神様が最初からROMに焼かれている。
 人間はどうだろう。なぜ選べてしまうのか。選べるような気にさせられるのか。
 それはわからないけれど、多分そこも含めて神様の謎々なのだろう。

 どうしたら神様を回復できるのか、それを考えて毎日生きている。
 この呼吸の中に、血の細胞一つ一つの中に、神様をもう一度宿らせるために。



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