守らなければいけない、と言い出す時には大体話がおかしくなっている。
同一化と投影を経由しロンダリングを果たした倒錯がギアを上げていっている。
文化や伝統、宗教(神の助け手だって?神は彼らが助けてあげなければ消えてしまうような弱々しいものではない。神のみがغني豊かであり、我らはفقراء貧者ではないか)。
果ては市場経済すら守らなければその理想を実現できないひ弱なものののように扱われていることがある(パレート最適のユートピアは少しのズルで崩れ去ると怯える道徳的構造改革主義者)。
動物愛護の倒錯は言うに及ばず、いわゆる弱者に対するパターナリズム的振る舞い、女性の囲い込みなども同様である。
こうした庇護の欲求そのものを否定し切ることはできない。
言うまでもなく、そこで「守られて」いるのは対象としての伝統や弱者ではなく、彼ら自身である。正確に言えば、彼らが彼らたることを支えているファンタジー、世界そのものと同一視される程に疑い得ない世界観だ。
しかし人は生まれ育った物質的・文化的環境と一つで生きるもので、身一つ助かれば後は野となれ、というわけにはいかない。「生存圏」の確保の為に、他の個であろうとモノであろうと獣であろうと、踏みにじりもすれば「庇護」もするだろう。それを「侵害」かのように一律に考えることこそ、プチブル個人主義的な極めて実験室的な幻想に過ぎない。
それならそれで、「生存圏」の為に堂々と手を汚し血を流せばいい。そうやって人は生きてきたし、今でも生きているのだ。
ところが少なからぬ人々が、そうは振る舞わない。
皮剥を「部落民」に任せて壁の内側だけは清浄を保とうとする。ユダヤならざるものとしてのヨーロッパを罪なき聖域と夢見たがる。
ある種のネトウヨは「我々の祖先が虐殺などしたと思うのか」とのたまうそうだけれど、勿論したと思うし、「生存圏」の為には虐殺の一つや二つこなせない腑抜けなど我らの祖先にいなかったと信じたい。
この精神は、僅かな不正も見逃さず一つの秩序が隈なく照らす世界を構築しつつあるスターリニスト、この「左傾化」した世界でコンプライアンスと称し無実の塀の中に閉じこもっている支配階層のそれの、正確な陰画、というよりはカリカチュアであり、「反日」左翼の一部とネトウヨ層が、チリ一つない世界を信奉しそこでしか生きられない強迫神経症者の類である点で変わりがないことを証している。
抽象的で整理された世界を好み、そこでは弱者や消え行くものが最初からそれとしてマークされている。それを「攻撃」する者があればテロリストであり、いつでも思う存分に罰の矢を放つ準備には余念がない。
彼らのうちの一体どれほどが、当の「弱者」や儚きものの声を聞いたのか疑問だが、それは勿論、守ってあげないと死に絶えてしまう弱き神の声と一緒で、彼らの耳には確かに聞こえているのだろう!
加害者性を十全に背負い、声を大にしてしまっては、か弱く善良なる市民の支持を得られないのかもしれない。その理屈ならよくわかる。嘘も方便というわけだ。
だから敵は嘘つきではなく、その嘘に騙されてしまう毛皮を着ない善良な人民である。
塀の中で物を売るには、善の欠片をまぶしてやらないといけない。
どの塀の中にも澄んだ目をした人々がささかな生を営んでいるのだから、「生存圏」の為に町ごと焼き払うのも結構だろう!
神の助け手を名乗る者たちが像を破壊し、その像をまた守る者がいる。守らなければ滅んでしまう儚い神像を! どちらについても、銃を手に取る嘘つきたちには一分の悪があるが、外野で「像を!像を!」と叫んでいる者たちこそ、澄んだ目の人民どもである。像がアートなら、像の破壊もアートだろう。銃後で嘯けばどちらも戯言に過ぎない。
勿論、嘘吐きとそれに寄生する「弱者」たちの共犯関係がこの世から消えることはないだろう。
弱き者を守らなければ生きていけない者たちこそが弱いのだから、せいぜい守らせてやっておけばいい、というわけだ。
それが世の理ならば、せいぜいこうして形作られる系、秩序のスケールが大きくなりすぎないよう、邪魔だてするくらいしかできることはないのかもしれない。
選べる地獄の種類にも限りがある。
「俺の町」と嘯くナイーヴな父など、まだ可愛いものだ。透明で理解可能な法、射程の長過ぎる秩序よりは、障害物と陰のあるだけ、いくらかマシとは言える。
こうした薄汚い父を少しも愛さないが、綺麗な父を殺すためには多少の騙されたフリは厭わない。
しかしお前たちに理解されることなど、何一つない!
それだけは言っておかなければならない。
「お前のことはまるでわからないが、しかし、これは俺の仕事なのだ」という、汚く愚かな父を、最後の砦としよう(勿論、きく口など一つももたないが!)。
これは必要悪ではない。悪は(主にとって)最初から必要だ。
それより線一本でも向こうの物分りの良い父、綺麗な手をした善人たちは、その皮を剥いでコートに仕立てなければいけない。