洞窟ゲーム 青林工藝舎 2010-05-30 |
久しぶりにマンガを買いました。まどの一哉さんの『洞窟ゲーム』です。
場所も取るし最近はほとんどマンガを買わなくなったのですが、キッカケは竹熊さんのまどの一哉は紹介の難しいマンガ家だという記事。直観的に「コレは正しいかも」と思ってとりあえず注文してみました。
そう、「面白い」というより、「正しい」かも、という勘です。場所食いのコミックで手元においておきたいものは、「面白い」ものより「正しい」ものです。
「正しい」マンガって何やねん、とツッコまれそうですが、少ない紙数の中に韻文的に真理が凝縮されているのが、わたしの基準での「正しい」マンガです。マンガは物語を語るのにどうしたってスペースがかかりますし、その中で本当に凝縮されているものは数少ないです。
肝心のまどの一哉さんの『洞窟ゲーム』ですが、竹熊さんも書かれている通り、「本当にあった嘘」という北野勇作さんの帯文が正鵠を得ています。多くの人が連想しているでしょうが、内田百閒を思わせるものがあります。
竹熊さんもことわっている通り、部分だけ取り出すとギャグに見えてしまう。でもこれはギャグではないのです。すごく必死で、コレ以外にあり得なかった、という切羽詰った感じがある。そしてこの「必死の必然性」に、筋の通った根拠を示せない時、作品というのは一番圧力が高くなるものでしょう(筋の通った必然性なら掃いて捨てるほどある)。
マンガでこういう圧力を実現している人として、わたしの狭い知見の中で思い当たるのは、蛭子能収さんの昔の作品(蛭子さんはテレビの印象が強いでしょうが、本当はすごい人です)、それからしりあがり寿さんの『真夜中の弥次さん喜多さん』あたりでしょうか。
買ってみてサッパリ分からなくても、十年くらい寝かせておいて引越しの時に読み返したら奇跡の一冊になっていたりしそうなマンガです。
全然関係ありませんが、『洞窟ゲーム』と一緒に『ヒストリエ』の六巻も買いました。こちらはまぁ、気長に淡々と買っていくだけです(笑)。