『マダム・ウィーン』ユースフ・イドリース

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 ヨーロッパ女性との出会いを求めるエジプトの小役人が、苦難の末ようやくウィーンの既婚女性と一夜を共にすると、別段アラブの女と変わるところもなく、それどころかあけすけな態度に幻滅する、という物語。反射し内面化したオリエンタリズムが、内側から析出されてくるストーリーのようです。
 「アラブの女と同じ」ところにも、期待通り「アラブとは違う」部分にも、共に絶望している、というところが非常に重要です。「違いを強調しても始まらない」といったナイーヴな「異文化理解」的態度が危険なのは、違ったり違わなかったり、ということがことの核心にある、という幻想から抜け出せていないからです。違うか違わないかが問題なのではなく、差異の文節化が前景化されてしまっていること自体が、ある種の症候を形成しています。
 わたしたちは「同胞」だと思う人々について、「すべてが同じ」とは考えないし、時に差異について語らうこともあります。この営みと他者として想定されるものについての幻想と、どこが違うのかを思考する必要があります。

(このポストは八木久美子先生の『アラブ・イスラム世界における他者像の変遷』で取り上げられた内容に対する「感想」です。本書原典自体にはわたしは触れていません)