しかし誰が?

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あちこち歩いてなにか巻き起こるかというとなにも起きない。ボロい家など撮っているが家など興味もない。家しかないから仕方なく撮っているだけだ。しかし呪詛を込めて撮り続けることには意味がある。ないかもしれない。嫌いなものには距離を取るやり方があるが、向かっていって焼き滅ぼすという法もある。大抵は前者が正しい。後者は物騒というのではなく単にキリがない。その無為に身を捧げるのもまた面白い。滑稽なものが遂に笑えなくなる臨界を見ないといけない。寂しい話だぜ。そうでもないかもしれない。窓に目を向けると笑笑薬局とある。居酒屋か。いつからこんなにイカれてるんだ。しかし誰が? 燃やされる前に燃えそうな家を撮っている。だからなんだ。なんにもならない。笑笑だ。笑笑ってなんだ。そんなもの本当にあるのか。人々がけらけらと笑っている。若い娘はよく笑う。よく見ればインコの群れなのだ。だからなんだ。わたしだってインコだ。自分がなにをやっているのか、なにを笑っているのか、インコとインコ以外の誰も知らない。言葉の尽きる先で待ってるぜ。しかし誰が?



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