わたしは普段、世間のニュース等にかなり無関心な方で、何が起こっても対岸の火事くらいに聞き流す無責任な人間なのですが、先日起こったシンガーソングライター?の女性が刺傷された事件は、妙に心にまとわりついてとても恐ろしい気持ちになっています。
この手の事件が起こるといつも思うのが、被害者とそのご家族がどうしようもなくお気の毒であるばかりでなく、加害者も悲惨すぎる、ということです。
いや、間違いなく加害者が一番悪いですし、自分がこの被害者の家族だったら出所したところを刺し殺ていると思いますが、それは当然のこととして、加害者の側の不幸ももう少し何とかならなかったのか、と思ってしまうのです。
生まれついてのサイコパスの場合はどうしようもありませんが、普通の人間でもカッとなって見境のない行動に出てしまうことはあるし、「痴情のもつれ」がもつれにもつれて取り返しのつかないことになってしまう、ということはあるでしょう。
わたし自身、思い込みが激しく短気で激情家なので、人を刺したことすら幸いありませんが、今まで色々と間違った行いをしてきたと思います。
今のところ誰も殺さずに済んでいるのは、運が良かった、神様のご加護があったからだと思っています。
今回の事件の犯人がどういう人物なのかわかりませんが、結構普通の気の弱い人で、今頃後悔してガクガクブルブルしているかもしれません。
もう、誰も得しないです。
思いつめて「殺すしかない」とか考えてみても、口に出して誰かに相談してみると存外大したことのないように思えてきたり、美味しいものを食べてゆっくり寝るだけでも気分が変わることがあります。
こういうのは「死ぬしかない」と似ていて、殺すとか死ぬとか言う状況は冷静に考えたってやっぱりロクでもないことは確かなのですが、それにしたって殺したり死んだりする程ではない、ということもよくあるわけです。
でも、被害者を気の毒に思う人はいても、加害者、あるいは加害者候補のような人物をケアしよう、という動きはまだまだ少ないです。
DVなんかですと、治療的介入というか、加害者の心を一回受け止めてその病的状態をなんとかしていきましょう、という試みがあるようですが、もっとこういう動きが広まってくれれば、と思います。
もちろん、口で言うのは簡単でも、実行するのは容易ではないでしょう。
まずは介入したり話を聞いたりできる第三者が必要なわけですが、ここまで黒い気持ちに乗っ取られてしまっている人の話を聞くのは相当骨ですし、公共の窓口を設けるにしても、誰が費用を負担するのか、という話があります。
自殺を止める試みもなかなかうまくいかないのに、他殺の話までなんとかできるか、というものです。
「命の電話」の他殺版みたいなものがあって、人を殺そうと思う前に相談することができるだけでも結構違うとは思うのですが、簡単ではないでしょうね。
「人殺しが人を殺す前に電話なんかするか」と言われそうですが、これは自殺と一緒で、案外電話してくる人が沢山いるんじゃないかと思います。自殺しようとする人も、(「痴情のもつれ」系で)人を殺そうとする人も、本来自殺や他殺自体が最終目的なわけではなく、生きている上での困難が大きすぎて死んだ方がマシだとか、自分の強すぎる気持ちに対して相手が酷すぎる態度を取るから殺した方がマシだとか、何かと比べて「マシ」だから死んだり殺したりするのです。他に一切の選択肢がない、ということは比較的少ないはずです。そういう時にちょっと窓口があると、「誰か止めてくれ」という自分自身を繋ぎとめようという気持ちが働いて、アクセスしてくる人は結構いるように思います。
仮にそういう窓口があったとしても、多分年中電話中で、十分なリソースを割くのはほぼ不可能でしょう。それでも意味はあると思います。
実を言うと、わたしは若かりし頃思いつめて「命の電話」系のところに電話したことがあるのです。その時、電話は電話中でした。だから相談はできなかったのですが、電話中ということはどこかで死のうとしている人がいて電話していているわけで、そういう事実を前にすると自分の状況も相対化されてきて、なんとなくアホらしくなって思いとどまった、という経緯があります。ですから、電話中でもそれはそれで意味のないことではないはずです。
加害者はもう加害してしまったのだからしかるべき裁きを受けるべきだし、全くの個人的感想としては、彼が受けるであろう法的処罰は軽すぎるし、先にも書いた通り自分が被害者家族であれば敵討ちをしていると思いますが(そして法的には許されないことですが、わたしはそれが正しいと思っていて、敵討ちをすべきだと信じています)、それと同時に加害者も果てしなく不幸で、あぁ不幸だな、かわいそうに、誰もあなたを救えなかった、と思いながら殺すのでしょう。ごめんなさい、あなたもまた悪につかまってしまった人であるにすぎないけれど、今ここでわたしはあなたを殺さないといけない、死んで下さい、と。
そして加害者がいなければ被害者もいないわけで、被害者は何もしていないわけですから、加害者になってしまうかもしれない人びとに対して何事か働きかける、話を続けるということは、(果てしなく困難ではあるにせよ)本当に大切なことだと思います。正確に言えば、被害者も多分「何もしていない」ということは大概なくて、場合によっては殺されて当然なこともしているかもしれませんが、落ち度があったとしても、加害者のそれとは比するべくもないはずで、いわば「加害者の落ち度」を拾っていく作業が必要なのでしょう(同時に、被害者になるかもしれない人たちの「落ち度」も正していかないといけませんが)。
以前にスジ関係の方たちとお仕事をされているメディア関係の方に伺ったのですが、そういう「怖い人」と関わるときは、必ずチャンネルを開いておくこと、電話番号を教えていつかけてきてもちゃんと出て対応すること、と言われました。窓口を開いていれば怒鳴りこんできてくれますし、怒鳴りこんでいるうちはまだ刺されません。でも、チャンネルを閉ざしてしまうといきなり刺される、というお話をされていました。
もちろん、怒鳴りこまれてかつ刺される、ということもあるでしょうが、この教えには示唆に富むところがあります。話し続けている間はノラリクラリかわすこともできますし、話を聞いてもらっている間は意外と人のことは刺せない、ということです(刺せる時もあるかと思いますが)。
ちなみにわたし自身、たまに仕事で見知らぬ方からお叱りを受けることがあるのですが、丁寧に辛抱強く対応を続けることで、最終的に結構仲良くなってしまった、という経験があります。
このノラリクラリも非常なスキルが要求されるので、あまり当たり前のように期待もできないのですが、もう既に関わり合いになってしまっているのなら、そう簡単にパシャンと回路は閉ざせないのだ、と思った方が良いです。そういうわたし自身、そんな愚かな行いを何度もしてきているので偉そうなことは言えないのですが、袖ふれあうもなんとやら、一回関わったら簡単に切れない、切るにしてもノラリクラリに十分なエネルギーを注いでフェイドアウトしていただくしかないのです(もちろん、最初から変な人と関わらないのが一番ですが、そうは言っても避けられないことがあるでしょう)。
話がズレましたが、なんとかこういう、思いつめてしまった人と会話のチャンネルを開いていくことはできないものか、と想像します。この場合、被害者にあたる人が話続けるには既に手遅れなので、第三者がノラリクラリと話を聞ければ一番良いのです。
ただ不幸なことに、こうした事件の加害者になりやすい若い男性というのは、この社会で一番「気軽にその辺の人と話す」ことができない人たちです。これが女性であったりお年寄りであったりすると、割りと簡単に色んな人としょうもない話ができるのですが、イカツイ若い男性が突然話しかけてきたらやっぱり身構えてしまう人が多いですから、なかなか難しいところです。
心も身体もバカでかいオバちゃんか、そうでなければ兄貴的なものがもっと欲しいです。特にこの兄貴的存在というのは、現代日本社会で非常に希薄になってしまっていて、それは丁度、エジプトで言えばアフワ(喫茶店)のようなオッチャンの集う社交場が脆弱になっているのと、パラレルなようにも思います。
考えれば考えるほど具体的にできることもなにもないので、ただ鬱々と世にさす斜陽を眺めるよりほかにないのですが。