変わった経験は役に立たないけれど

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 変わった経験、というのは役に立たないのです。
 居酒屋ネタくらいにはなるかもしれない。「エピソードとして使う」というやり方です。エピソードというのはどこにも繋がらない。挿入歌みたいな感じです。文脈はあくまで居酒屋。居酒屋に合わせてカプセルに入れて、「で、その時、はっと足元を見たら右と左で違う靴を履いていたんですよ~」とか言って、はっはっはっ、と回収されて終わるわけです。
 この時、変わった経験の「変わった性」みたいなものは、完全に去勢されてしまっています。それがダメかというと、まるでダメというのでもありません。少なくとも居酒屋では活きるのですから。逆に言えば、居酒屋的なものがないといけない。これは何かと言えば、共通のコンテクストです。居酒屋的文脈という、共通の地場があるから、エピソードというものを入れられるのです。
 変わった人生を送っていて変わった経験をしていると、しばしばその分、普通のことを知りません。普通を知らないというのは、居酒屋がないということです。居酒屋なしでエピソードだけ持ってきても、これは空回りします。変わった話というか、変わった人が喚いているだけになってしまいます。
 居酒屋はやっぱり必要なんですよ。変わった経験なんか要りません。まずは普通のことをした方があらゆる面で得です。
 でもやっぱり、変わった経験というのは面白いし、輝けるところもある。なぜなら、人の人生はすべて変わっているからです。変わってるなぁ、これはやっぱり、なんだかヘンテコだよねぇ、というところに、人生の妙味があるのです。
 ですから、やっぱりこれは伝えたい。伝えたいのは、変わった経験の「変わった性」なのです。それをただの「変わった話」にしては、居酒屋行きです。もしくは、どこにも届かない。
 一つのアプローチは「一般化」です。変わった経験の抽象度を上げて、「変わっているようで、ほら、皆んなも経験あるでしょ?」と持っていくわけです。でもやりすぎると薄まって何を言っているのかわからなくなります。
 また「例え話」というアプローチもあります。変わった経験を何かに仮託して、おとぎ話風に語るわけです。これも強力ですが、やりすぎると一対一対応になってしまい「それくらいなら例えないでそのまま話せよ」となってしまいます。
 「変わった性」というのは抽象できるようで、できないのです。薄めたり例えたりしたいところなのですが、それをやろうとしてダメになってしまうところに、コアがあるのです。あるけれど、まるでやらないわけにもいかない。だからやるのですが「今これ、肝心なところは言えてませんからね? 書ききれませんでしたよ? わかってます? 今、書き損じたところを見てくださいよ?」という念を込めないといけません。
 込めるだけじゃダメで、ちゃんとわかるようにしないといけません。わからない、ということをわかる形で示さないといけない。終始それだけ言っていると誰も相手にしてくれないので、わかるところはわかるようにします。それはまぁ、わかることだってあるでしょう。居酒屋的なものが。しかし居酒屋がすべてではない。この「すべてではない」ということをギリギリ伝える必要はあります。
 変わった経験は役に立ちませんが、なければ語るべきものもないし、語れないこともない。語れませんでした、というこの失敗と苦渋がないなら、人生など空虚だと思いますけれどね。



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