素晴らしいものは言語の中にしかなく、しかも部分的にしか姿を見せない。
目に映る世界には素晴らしいものはなく、時折発見される素晴らしいものとは言語との結婚から生じたファンタジーだ。
そのファンタジーを追って目に映る世界で暮らすのが正しい欲望というものだろう。
欲望を諦めて部分的な正しさで充足しようとするのは、倫理的に断罪される(倫理的罪)。
過大な欲望を抱き目に映る世界にあまりに多くを求める者は、倒錯しているか、道徳社会的に非難される(社会的犯罪)。
素晴らしいものの完全なる姿を物質として発見する者は、狂人である。
その狂人のお陰で、極稀に、無数の「中途半端な人びと」が救われることもあるが。