著書を最初だけ訳させて頂いているアフマド・アル=イシーリーさんのやっている「ストリートのイシーリー」というテレビ番組があります。カイロの道に長椅子を置いて、様々な一般エジプト市民と二人で座り、色々な問題を話し合う、というものです。もちろん、予め応募やら選考やらのステップは踏んでいるのでしょうが、あの主張のはっきりしたエジプト人たちのめくるめくトークを楽しむことができる好企画です。
その中で、特に目を引くものがありました。登場するのはまだ二十歳そこそこ程度の青年で、まだ幼さの残る相貌です(エジプト人は一般に老けて見える人の方が多いが、この人は多分童顔)。メディア専攻で「明日はテストがあるから収録は早めに終わらせて」などと可愛い側面ものぞかせているのですが、この男の子が、現在そしてこれからのエジプト政治について、実にしっかりした意見を述べるのです。
エジプト人は弁舌たくみな人が多く、政治意識の高い若者も日本よりはずっと多いですが、有名人とテレビカメラを前にして物怖じしない度胸は立派なものだと思いました。
三人目、8:30くらいからですが、そこから再生されるようにしてあります。言葉が分からなくても、話し方や態度を見て欲しいです。
以下、非常にざっくりした形ですが、大凡の流れを訳したものです。
「お名前は?」
「ムハンマドです」
「ムハンマド何?」
「ムハンマド・イッザ」
「ムハンマド君は明日テストがあるから、早めに収録して欲しいそうだ(笑)。何の試験?」
「心理学です」
「学校はどこ?」
「英語メディア1」
「英語メディア? いいね。心理学は得意?」
「まあまあかな」
「勉強してる?」
「うーん、まあまあ」
「で、何をお話したいのかな?」
「僕が話したいのは、今すごく大事なことの一つです。リベラリズムのない社会では、民主主義がファシズムになってしまうのでは、という恐怖です」
「それに対し、君に解決案はあるの?」
「解決案はないですね。それよりもっと良いものがあります」
「そりゃすごい」
「これは僕の友達の言ったことなんだけど、民主主義は知恵のある人に任せておけばいい、って人がいます。知識人ですよ」
「そりゃプラトンの考えだね。人々の中から民主主義を実践する人を選ぶ。学者や哲学者の声が、ヤクザみたいなヤツらの声と同等に扱われないためにね」
「だけど正直、これはすごく下らない考えです」
「ほう」
「なぜこれが下らないか? 僕が民主主義を愛するのは、それが社会的公正を実現する一番の近道だからです。どうやって? このところサイヤ・ッサーウィー2とか色んなところ、要するにハイクラスな感じのところに行くと、みんな怖がってるんですよ。無知な人たちが誰を選ぶことやら、って。貧しい人達がどうするのか、って」
「いやいや、その貧しいってのはなしだよ。それを言ったらその考えは全部パーだ。それは・・」
「いや、つまり一般の、ってことです。一般の人を恐れているってことです。一般の人が何を選ぶのか」
「無知な大衆ってことかな」
「そう」
「どんな大きな社会にも無知な大衆はいるよ」
「いや、そんなことは・・」
「それで民主主義のプロセスに参加すると、問題が起こる」
「ええ」
「それが民主主義のコストってもんだ」
「正にそれを言いたいんです。社会的公正の実現ってのは、どういうことでしょう。例えば僕は、イル=バラーダイー3が大好きです。彼に投票したい。僕の夢は、彼が共和国大統領になることです。彼が大統領になったら死んでもいいくらいだ」
「死ぬことはないだろ。イル=バラーダイーの政治を楽しめばいいじゃないか」
「素晴らしいのは、大衆の中に入っていき、これはどういう考え方か、どういうことなのか、説明することです。思うにこれは、民主主義の目的を広めることです」
「そうか。じゃあその考えの問題について問おう。そういうことをするのは君だけか?」
「いいえ」
「僕も同じように、大衆の中に入っていき、これはこうこう、あれはこうこう、とぜんぜん違うことを言う。どうなる?」
「それなら問題は、僕が筋の通った話ができていなかったことです。それで説得できなかったんでしょう。ちゃんと話せばそっちを聞くでしょう」
「ふむ」
「ほとんどのリベラルは、皆んなのところに言って話す時、いつもはっきりしたことを言わない。自分の考えを言う時に、慎重に、恐れながら喋っています。はっきり言いたくないんですよ」
「どういうこと?」
「つまり、わたしは信心深くイスラームを尊重し、とか・・・すいません、ちょっと微妙な問題に入っちゃいますけれど・・」
「いや、言ってごらん」
「センシティヴな問題です。そういう風に話す人がいたら、へえ結構、あんたは信仰熱心でイスラームを尊重してるんだ。それならなぜイスラームを適用しないんだ、って突っ込まれるってことですよ。そう言われれると、リベラルは答えられない。イスラームが素晴らしい、最高だってのは、彼の考えだ。他の人はそう考えないかもしれない。なのに・・」
「考えにすぎないと?」
「いや、言いたいのは、彼らははっきりしなくて、歯切れが悪いってことです」
「しかし政治というのはそういうものだよ。僕は政治家を知っているが、彼らは美しい立派な答えを言う。立派だけれど、実は今ひとつはっきりしたことは言っていない」
「でもリベラルがはっきりしたことを言わなかったら、票を取れないでしょう。サラフィー4のシェイフみたいには」
「でも、同じ問題は同胞団やイスラーム主義者にだってある」
「いや、僕の言っているのは、社会の中で神聖視されていることについて言及する場合のことです」
「いやいや、そうじゃなくて、今問題になっているのは、意見が相違するような事柄についてだよね。自由を唱導する人々が、イスラーム的統治を主張する人たちと相違していると。例えば、酒の問題をどうするか。酒はイスラームではハラームだ」
「もちろん」
「そしてこの国は、ほとんどがムスリムだ。じゃあ法で酒を禁じて、酒を飲んだヤツを捕まえてブチ込むか? それとも法律では自由にしておいて、各人が自分で判断するか」
「まさにそこです。イスラーム主義者や、イスラーム的な立場で話す人は、すごくはっきり言うんですよ。リベラルとは違う」
「いや、それは違うな。例えばイスラーム主義者が、シャリーアを適用するという。でもこれはちっともはっきりしてないぞ。どうしてだ?」
「それは、意見の相違があるからです」
「そう。どう考えるか、どのへんまでやるのか、色々違うし、はっきりなんてしてない」
「じゃあ、好みのイスラームを選びなさい、ってやればいいじゃないですか」
「いやいや、そんな風にいくものか。憲法はどうする。法律は。物を盗んだらその手を切り落とすのか。姦淫した者を石で打つのか」
「人民議会で多数決で決めるでしょう。そこにはサラフィーもいるし、同胞団もいるし、イスラーム主義者もいるし、それぞれの考えがあるでしょう」
「いや、そもそも君の言った民主主義の問題というのは、民主主義というのは多数決で、多数派がコレと言ったらそっちへ行ってしまう、だからファシズムになりかねない、そういうことに関するものだろう。ファシズムというのは、違う立場の意見を聞かないものだ」
「僕の考えている唯一のことは、そのファシズムに対する恐怖が、民主主義に対する及び腰につながってしまうのでは、ということです」
「君は、人々が恐れていて、そのことを君が恐れている、そんな風に言うけれど、何が起こるかなんて分からない。やってみれば上手く行くかもしれないじゃないか。君は要するにどうしたいんだ?」
「正直、僕はあまり楽観していなくて・・」
「いや、分析が聞きたいんじゃない。どうやってそれを乗り越えるのか、ってことだ」
「お互いに話し合うことでしょう。陳腐な答えですけれど」
「そうだ。それ以外に方法はない。この世には二つのやり方がある。独裁か対話だ。独裁は僕らが壊した。僕らは誰も独裁を望んでないからな。もう一つの唯一のオプションは、人々が納得するまで話し合うことだ。民主主義は、たしかに簡単にファシズムになる。そうしないにはどうするか。この人の考えにも一理ある。この人の言うことにも一理ある。そうやって中道をとるしかないじゃないか」
「それは確かに素晴らしいし、聞こえは良いですが、政治活動では、必ずある種の集団が『一理ある』なんてことを認めず、納得しないってことでしょう。これはとても恐ろしいことです」
「それで、君には何か案はないのかい」
「小さな案があります。どんな思想性向の人々にも、ただ一致した意見だけではなく、それぞれの人の性向があるでしょう。いくらかの人には、ちょっとリベラルなところがあり、ちょっと話し合いを好むところがあり、喋る前に考えるところがあり、そういう人がいるでしょう。サラフィーにだって」
「多かれ少なかれね」
「良い例があります。ユースフ・ジダーン先生5を僕は師と仰いでいて、先生の言葉はほとんど神聖なばかりなんですが・・」
「尊敬しているのは分かるけど、神聖な言葉とかそういうものはどうかね6」
「ええ、そうです、そんなものはないですが・・」
「でも君が尊敬しているのは分かったよ」
「ユースフ・ジダーン先生が、以前にシェイフ・ムハンマド・ハッサーン7との間で起こった問題についてお話されたんです。ムハンマド・ハッサーンが以前に、自分の土地で見つかった遺跡はその人のものだ、というファトワを出して、大問題になったんです」
「それでユースフ・ジダーン先生はどう言ったの?」
「そこです。ユースフ・ジダーン先生はサラフィー主義のことも研究していて、シェイフ・ムハンマド・ハッサーンは頭がどうかしている、と言ったんです」
「いやそれはまずいね」
「それが、すごく不思議なことが起きたんです。シェイフ・ムハンマド・ハッサーンが、自分が間違っていたと認めたんです」
「それは素晴らしい」
「でもユースフ・ジダーン先生の言うには、シェイフ・ムハンマド・ハッサーンの支持者からネット上で総スカンを食らったそうです」
「いやでもそれはすごいことだ」
「丁寧なしっかりした言葉で自分の過ちを認め、ユースフ・ジダーン先生も、頭がおかしいと言ったことを謝罪したんです。でも問題は、その後話し合いを持とうともちかけられ、いやいや先生はご自分の道があり、わたしも自分の道があります、と断ってしまったことなんです。これこそ、僕が思うに、大問題なんです」
「席をもうけたら良い話だったのにね」
「そうなんです。二人には共通している部分が沢山あるんです。細かいところに至るまで。シェイフ・ムハンマド・ハッサーンは、ユースフ・ジダーン先生は背教者や不道徳者などではない、と言っているんです。ユースフ・ジダーン先生も、シェイフ・ムハンマド・ハッサーンの意図が清いことを認めています。そもそも二人の目的は一つ、改革です。僕たちはみんな改革を望んでいるんです」
「一般に、例え一致点がないとしても、対話は重要だ。僕らはここまで、君らはここまで、と線を引いたとしても、対話することで影響を与え合う」
「奇妙なことに、彼らが彼らだけで(支持者たちだけで)集まると、よその人のことをとても良く言っているんです。ユースフ・ジダーン先生は立派で偉大な人物だ、とか。大体、彼らのやり方は似ていて、両方とも知性を重んじるものです」
「僕に考えがあるよ。この二人のところに、君が行くんだ。ユースフ・ジダーン先生のところに行って、これこれこうと言い、シェイフ・ムハンマド・ハッサーンのところに行き、これこれこうと話す。成功したら凄いことだぞ」
「それは凄い考えですね」
「今日はありがとう」
「ありがとうございます」
イル=バラーダイー支持であること、その他の主張や話し方・見た目から察して、彼はリベラル派革命青年で、中流以上の家庭の出身かと思われます。こういう考え方は、エジプト全体で見るとメインストリームではありません。だからこそ、彼は、リベラルの(必ずしも学問のない)大衆に対する訴求力の弱さを危惧しているのです。