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不可知論のギリギリ一歩手前で永遠に宙吊りにされた

何が正解かわからないから人はパニックになるし、それに抗するために練習や研鑽を重ねるわけだが、何事も究極的にはやってみなければわからない。芸能人などで時々変な占い師などにハマる人がいるのは、とりわけ正解のわからない世界だからだろうが、別段そんな業界でなくても結局生きていれば一寸先は闇で、世間の常識とかエンタメとか曖昧なものに寄りかかって必死で醒めない夢を見ているに過ぎない。その究極が神様だが、西洋史でも紐解けば明白なように、神様をどんどん研ぎ澄ましていくと不可知論的な零度の信仰に至りつき、むしろ「神というワードを使わない」ゲームこそが信仰と表裏一体となる。もちろんこのゲームの結果としての知のみを金科玉条に振りかざせば、philosopy of scienceを忘れたナイーヴなscience、あるいはある種の魔術となる。どうせ酔っぱらうなら神様だけを考えたいが、その神は不可知論のギリギリ一歩手前で永遠に宙吊りにされたものでなければならない。

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