ちょっと古いイシーリーさんの動画。
エジプト・アラブ・イスラームという入り組んだアイデンティティの問題と、言語について語っています。
ここでイシーリーさんの言っていることは極めて明快で、特にアラブ世界のこうした複雑な言語状況・アイデンティティに少しでも関心のある方にとっては、ほとんどが自明の事柄かと思います。わたしたち外国人の方が、このような問題を整理し易いからでもあるでしょう。
わたしにとって彼が魅力的なのは、彼の言っていることのほとんどが「当たり前」だからです。しかし少なからぬエジプト人にとっては「当たり前」ではないはずです。また、多くの日本人にとっては、そもそも彼の触れている問題系自体をよく知らないため、「なぜこんなことを言わなければならないのか」よく分からないのではないかと想像されます。
「当たり前」過ぎて、わたし個人にとっては格別新しいものはないのですが、それをエジプト人がエジプト方言で大きな声で主張することは、まったく別問題です。なぜなら、これが「当たり前」ではない人たちが沢山いて、その中のある種の人々にとっては、センシティヴで看過し難い口撃にも映るからです。
逆に言うと、これが「当たり前」ではないロジックとは何なのか、という点に、注意を払わないといけません。「当たり前」に感じるものに対して「その通り!」と言うのは誰でもできますが、その「当たり前」が「主張」されるということは、それが「当たり前」ではない人たちがいる、ということです。彼らは別に悪意で別の考えをしているのでもなければ、異星人でもない(はず)です。それを「理解する」と言ってしまえば、またを殺すことになるだけですが、自分の脳みその中での落とし所を探りながら関わっていく程度のことはできます。
イシーリーさんが同じことを、例えばヨーロッパ人の地域研究者か何かの立場として言っていたら大して面白くなかったと思うのですが、エジプト人ムスリムとして、エジプトの渦中で、コテコテのエジプト方言で語っているから魅力的なんでしょうね。
ちなみに、イシーリーさんは非常に早口で、アレキサンドリア方面の方言も混ざっているので、もっと聞き取りが難しくてもおかしくないはずなのですが、大して言葉が達者でもないわたしの耳にも非常に明瞭に聞こえます。それも話題がよく知った内容で、考え方や論理の展開の仕方がわたしの属するある種の人々と通底しているからでしょう。