恐ろしいのはイスラームの外ではなく中だし、敵ではなく味方だし、悪意ではなく善意だ。
家族ほど不条理に守り、不条理に殺すものはない。
だからわたしは家族が大嫌いだ。
ただ何人も何者かの家族であることからは逃れえず、その最も希薄な臨界点に立つ、唯一の家族の元にあることについては、すっかり諦めたというだけだ。
わたしは、自分がおかしな家族であることをよく知っている。
誰かに殺されるとしたら、必ず家族に殺されるだろう。
おかしな人間が家族に殺されないためには、とにかく何もしないことだ。
何も語らず、何も行動しないことだ。
そもそも、何か言ったところでどうにもなるものではない。「何を言っても無駄」はこの世の約束だ。
だからわたしは、なるべく何も言いたくないのだけれど、別段欲の薄さや理想ゆえではなく、ひたすらに恐ろしいからだ。
家族が恐ろしいからだ。
にも関わらず、さして大きな声ではないにせよ、何事かを呟いてしまっているし、書いてしまっている。
書くことは、少なくともわたしにとって、音楽にとても似ている。
なぜその言葉がそこにあるのか、わたしは知らないが、ただ綴られるものだ。自分の書いたものもあまり覚えていられない。
駅のホームで、ヘッドホンの音楽に夢中になって、うっかり踊りだしてしまう人のように、わたしは不適切な踊りを踊っている。
だからこれは失敗だ。
本意ではなく、もしかすると致命的にもなる失敗だ。
失敗が人生を導く。
何がわたしを失敗させているのか、それは知らない。
الله أعلم

kharuuf

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