これはTwitterでつぶやくくらいで済ませたいことなのですが、140字では流石に収まらなさそうなのでメモとして書きつけておくと、ちょっと前に、シャミル常岡浩介さんが、パレスチナについてTwitterでこんなことを仰っていました。
イスラエル内の世俗派から超正統派まで、あらゆる階層に、少数ながらパレスチナとの和平を求める勢力があります。現在は余りに小さな勢力で問題解決能力も小さいですが、外国の支援者は彼らにアクセスすべきと。 RT @ikechan77: @shamilsh どなたが解決できるとお考えですか
政治的センスが全くないので、あまり具体的な政治的発言をしたくないのですが、この前後の流れが個人的に非常に共感できるものだったので、一票入れるくらいの軽い気持ちで賛意だけ示しておきます。
この件はイスラエルに対するボイコットについての発言に端を発するもので、流れは以下にまとめられています。
Togetter – 「常岡浩介氏のアンチイスラエル不買運動に関する見解」
二国家案など欺瞞の極みで、また問題当事者の上層部などは、はっきり言って「問題が片付かないこと」で食べているでしょう。現状を動かすことができるとしたら、イスラエルを内部から変えていくことくらいしか、可能性がないのではないかな、と思っています。ハサン中田先生のように「イラクからエジプトまで一回イスラエルに全部占領させたらいい」とまで言う根性はないのですが(笑)。
まぁこういうセンスが全くない人間の言うことですし、遠くからぼんやり見て無責任に考えているだけですから、全くアテにはなりませんが。
発言の憚られる話ついでなので、ほとんど関係ないことを一つ思い出してメモしておくと、イスラーム的に最も警戒しなければならないのは、「ネイションの偶像」より、ある種の環境保護運動なのではないか、と考えています。
わたしは、イスラームというものがなかったら、ナショナリズムそのものには強い反感は抱いていません。少なくとも、人の生命を預かる人以上のものを想定する限りにおいて、一定の共感も覚えます。誇りを奪われた人々が、分かりやすい「偶像」に引っ掛けられて、素朴な排外主義などに走るのは、むしろ当たり前のことだと思っています1。逆に、彼らの愚昧を一定の安全圏から嘲笑できる上品なリベラル的位置に立てるものなら、ナショナリズムをある程度相対化するのは難しい話ではないし、この階層で何の疑義も挟んでいない人などむしろ珍しいでしょう。
エコはそれよりずっと手強いです。領域的なものを超越した、人類として共通的善を携えているような装いを持ち、しかも「賢い人には賢い人向けの、アホな人にはアホな人向けの」力を持っています。これは非常に重要なポイントです。賢い人とアホな人の、どちらか一方にしかアピールしないものは、大した力を持たないですし、毒としても薬としてもそんなに恐れなくて大丈夫でしょう。
勿論、何となくエコ的なものとしてまとめられている実践行為の一つ一つが、直接唯一の神の障害となるわけではないし、別に矛盾も何もないものも多いでしょう。警戒すべきは思想的潮流としての「エコ的なるもの」で、これが恐ろしいのは、初めから人称性を剥ぎ取られて、物質の領域から(現実界の回帰!)迫ってくるからです。あたかもそれが、言語的な構造体ではなく、超-言語的で超-共同体的であるかのような顔をしているから、非常に抗い難いのです。
これに比べれば、ネイションはモダンな顔があって、まだいくらか相手がし易いように思えます。
以上、できたらあまり口にしたくないことを思いつきで書いただけなので、適当にスルーしてやって下さいませ。わたしこそ「安全圏」から見ているだけなので、価値のない発言です。
追記:
わたしはイスラエルあるいはシオニスト支援企業に対するボイコット運動が全く無意味だとは思っていないし、こうした活動を行っている人たちの誠意を疑ってもいません。多少なりとも人の関心を惹いて認知してもらうキッカケにはなりますし、シオニストがそれなしではいられないような巨大支援企業を倒産に追い込むくらいできるなら、効果もあるかと思います。ただ、現実的にはほぼ100%無力ですし、「それ一つ潰れるとイスラエルが倒れるような巨大支援企業」なんて存在しないでしょう(もちろんそんな大企業を倒産に追い込むことも無理でしょうけれど)。常岡さんもそういう意味で仰っているのではないかと思います。イスラエル内部の批判勢力に対して何らできることを持っていないわたしも、同じく完全に無力ですが。
ただ、こうした活動を通じて人と人が出会うと、そこで予期せぬパワーが生まれることもあるので、別に斜に構えて「無駄無駄、やめれ」とか言うつもりは全然ないです。運動ってそういうものだと思います。