Categories: 信仰メモ

日本人へのダウワ

 イスラーム界隈で、時々「日本人へのダウワ(≒布教)はいかに行うべきか」というような話題を聞きます。
 多分、日本人以外の方がこうした問題に興味を持つのではないか、と思うし、またその関心の持ち方も理解できるのですが、「ちょっと問いの立て方が違うんじゃないか」という気もします。
 わたしは身近な人を一人「ダウワ」したことになるようです。
 別に全然誘ったつもりはないのですが、結果として彼もムスリムになったので、勘定としては「ダウワ」らしく、人に言われて初めて気が付きました1
 その時彼にどんな風に語ったかといえば、彼に親しめる形で、あるいは彼とわたしの関係に即した形で語ったのであって、「日本人向け」に話したわけではありません。その辺を歩いている日本人を無作為に捕まえてきて同じ話をしても、まず間違いなく相手にされないでしょう。
 要するにこんなものは「人と人」の話なのであって、「日本人向け」というのはちょっと変な話です。付き合いの中でボチボチやっていくものでしょう。
 もちろん言いたいことは分かりますし、大雑把な日本人としての傾向というのはあるかもしれません。でもそれこそ「傾向」に即して言うなら、「一般向け」みたいな話をして乗ってくる日本人はあまりいないと思うし、少なくともわたしならそういう語りに猜疑心を抱くし、人に対してそういう喋り方もしないし、そんな喋りに乗ってくる人も信用しません。履歴書の書き方とかじゃなくて、信仰の話ですから。
 強いて言えば、普通に人付き合いしたり一緒にご飯食べたりするのが良いんじゃないかとは思います。この一緒にご飯というのは、パワーがあると同時にそんな簡単なことではなく、宗教によっては共食が禁じられているくらいですから、ちゃんと壁はあります。でもちょっと頑張って、一緒に食べてみる。それくらいでいいんじゃないかな、と思っています。話がイスラームなので「一緒に飲む」という訳にはいきませんが(笑)。
 今気付きましたが、ここでも信仰と恋愛はちょっと似ていますね。異性を口説くのと一緒じゃないですか(笑)。
 「日本人なら誰でもいい」なんていう外国人はイヤでしょう。いや、そういう人本当にいますけれどね・・・。

  1. ちなみにダウワにはちゃんとヒサーブというか「ポイント」が付くらしく、「どうやったらダウワできるのか」と真剣に考えているムスリムもいるようですが、わたしは話半分くらいで聞いています。仮にそうだとしても、一番重要なことではないでしょう []
kharuuf

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