十二歳で1952年革命を経験したエジプト出身の女性研究者ライラ・アハメドの自伝『境界を越える―カイロからアメリカへのある女性の旅』。これについての記述の中で、特に印象的だったのがイギリス人たちが「男のイスラム」しか知らない、という下りでした。
以下、『アラブ・イスラム世界における他者像の変遷』からの孫引きです。
わたしが彼女たち(祖母や母親)から学んだイスラムというのは、やさしく、穏やかで、すべてを包み込み、そしていくらか神秘主義的なものであった。それはまさに彼女たち自身と同じだった。母の穏やかさは、彼女の宗教的な感覚と完全に一体となっていた。イスラム教徒であるということは、ひとつの世界を信じること、そしてそこでは生が意味深いものであり、私たちは必ずしも見えはしないにせよ、総ての出来事、事件に意味が浸透していると信じることなのであった。宗教は何よりもまず、内面的な事柄に関わるものだった。礼拝や断食と言った宗教性の外面的な印は、本当の宗教性の印かもしれまにが、しかしそうではない可能性も同じくらいあるのだ。確かに言えることは、そうした外面的な印はイスラム教徒であることに関しての重要な問題ではなかった。重要なのは、どのように振る舞い、自分自身の心の中で、そして他人に対する態度において、どのような人間であるかということだった。
イスラーム復興の流ればかりが目立つ現代から見ると、こうした「内面的」イスラームは新鮮ですらあります。彼女のこうしたイスラーム観は、彼女の家庭が比較的裕福でイギリス的な教育を受けたことと多分に関係しているでしょうが、だとしてもそれも一つのイスラームです。少なくとも、彼女自身がidentifyするものとしてのイスラームである限りにおいて、「西洋化された」などと軽々にステレオタイプ化することはできないはずです。
ライラ・アハメドの著作は『イスラームにおける女性とジェンダー―近代論争の歴史的根源』が邦訳されています。