自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来 (新潮選書) Gunnar Heinsohn 新潮社 2008-12 |
テロや社会的不安定の原因を、主義思想や貧困ではなく、若年層男子の全人口に対する比率が突出する「ユースバルジ」に求める論。「ポストを求める若者(男子)」が、テロや侵略行為につながっている、と解き明かしていきます。
人口動態学と言えばエマニュエル・トッドで、トッドの論にしても、このグナル・ハインゾーンにしても、かなり説得力があり、人口構造による説明自体は、少なくとも暴力や不安定を安易に主義思想に還元して語る(物語的な)見方より妥当でしょう。とりわけ、「イスラーム主義者」によるテロをイスラームそのものへと結びつけるようなイージーな発想への中和剤にはなります。
そう期待したのですが、実際に読んでみて、正直辟易しました。どう見てもグナル・ハインゾーンにはそうした「公平な見方」への誠意があるようには感じられず、文体から匂うのは下品さばかり。トッドに比べると格段に下、という印象です。読んでいて怒りばかりが湧いてきました。
興味深かったのは、人口動態からの説明よりも、後半に登場する所有権概念によるヨーロッパ世界征服の解釈です(ユースバルジと、通常用いられる「技術力の差」といった要素に加わるものとして、所有権概念が導入されている)。ここで言う所有権とは、占有権と区別される概念です。
所有権による経済活動のポテンシャルが、単なる占有に基づいた――そして永遠に繰り返される――生産を凌ぐというのは、一区画の耕地からでも容易に見て取ることができる。人類史上知られている三つの社会タイプ、すなわち部族社会(占有のみ)、封建制社会(占有のみ)、所有権社会(占有と所有権)では、そのいずれにおいても、耕地を占有すれば、耕して種を蒔き、収穫することに利用できる。つまり具体的にそれと分かる収益を生み出すことができる。しかし、こうした利用の仕方では、そこで経済活動がなされているとは言えない。耕地は単に自然のままに利用されているにすぎず、そこに見えるのは占有権だけである。
耕地が商取引に利用される、つまり、それを使って経済活動がなされるようになるのは、所有権限が占有権にまで踏み込んでいった先の話である。生産は耕地を使って行われるが、経済活動は耕地を取り巻く柵囲いでなされる、とでも言えるだろうか。
所有権に基礎をおく社会は、数で勝る民族を凌駕することも可能だろう。なぜなら、所有権は金を生み出すために抵当権を設定したり、金を借りるために信用貸しで担保に入れたりできるからである。金を生み出そうとする者は、こうした抵当権の設定により契約期間中はその所有権の自由を失い、二重に抵当権を設定することもそれを売ったり贈ったりもできない。しかし、その代わり債務者から利払いの承諾を得る。そしてまさにこの利子のために、このさらに多くのために、決して引き伸ばされることのない一年という期限ごとに、創意に富んだ経済活動がなされなくてはならない。
所有権のない社会は金を、つまり利子の負担がかかる負債をもたず、だからこそいつまでも取り立てていうほどの成長がないのである。
この指摘は正鵠を得ていますが、正にそれ故にこそ、所有権システム=利子のシステムは、イスラームが喝破し、エンデが夢想した世界の者にとって、敵以外の何者でもないのではないですか。
『イスラーム金融―贈与と交換、その共存のシステムを解く』櫻井秀子
エンデの遺言、シルビオ・ゲゼル、イサカアワー、イスラーム金融
「最後の救済手段は戦争である。それは各人に、勝利または死を与える」(トマス・ホッブス)
そう、仰る通り。
そしてわたしたちに、勝利または死を与えてくれるのは、お前らとの戦争のことだ!
だから確かに、「産めよ増やせよ」の教えは本当に正しかったのであり、この男のような者が地上で息を吸ったり吐いたりしている限り、わたしたちは産み、尽きることなき戦士の波が、お前たちを脅かし続けるのだ。