「信仰の必要ない人間」というのは、ほとんど「人間ではない」のと同じことだ。 信仰を必要から考えてしまった時点で、既に見当違いな場所を見ている。 神が貴方を選ぶのであり、貴方が神を選ぶのではない。 必要なものがあるとしたら、それは既にすべて与えられてしまったのだ、という気付きのみから、始まる。 神は完了している。 すべてが終わった場所で、静かに始まるのが信仰だ。 世界の終わった夕暮れの浜辺に、尚打ち寄せる波を見つめるように。
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