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『さえずり言語起源論』岡ノ谷一夫

さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ (岩波科学ライブラリー)
岡ノ谷 一夫
岩波書店 2010-11-26

 「音楽と信仰」で少し触れた岡ノ谷一夫氏の『さえずり言語起源論』。一部で話題になった本ですし、薄くてすぐ読めるので、読んだ人も多いと思います。
 良いレビューがいくつもネット上にあるかと思うので、今さら言うこともないのですが、ジュウシマツの歌の研究から、「歌」こそが言語の起源という説を提唱している本です。正確には「歌」と言ってしまうとミスリーディングで、統語構造が語彙に先立つ、意味なしで文法構造自体が発生し得る、という考え方です。ジュウシマツの歌(求愛などのさえずり)は構造化されており、「文法」が存在しますが、「単語の意味」といったものは存在しません。あるいは、人間のダンスをかんげてみれば良いでしょう。こうした「構造はあるが個々の『語』の意味はない(不明瞭である)」という状態が成り立ち得り、(意味ではなく)この構造こそが言語の起源である、というのです。

 私たちのジュウシマツの歌の研究から、たとえ一つひとつは意味をもたない歌要素でも、それらを文法的に配列する行動が進化することがわかった。この事例は、意味のないところにも、文法という形式が進化しうることの存在証明である。これを可能にした要因として、以下が考えられる。まず、ある行動特性(歌の複雑さなど)がメスによる評価の対象となる。次に、家禽化(ペット化)により減少した淘汰圧のもとで、その行動特性がより極端なところまで進化しうる自由を得る。減少した淘汰圧には、家禽化によって種認識の必要がなくなる過程も含まれる1。これらの結果、複雑さを作り出す一つの方法として、有限状態文法が創発したと考えられるのである。

 ここから、「まず意味が生まれ、その組み合わせとして文法が発達した」という言語進化モデルを批判し、両者は別々の起源により生まれ、それが組み合わされた、というモデルを提唱します。

言語の文法構造は、性的なディスプレイとして性淘汰により進化した行動を支えているのと同じ神経機構が受け持っている。人間は、集団生活、道具の使用、濃厚牧畜によって事故の住む環境を安全で豊かなものに作り変えてきた。これを「自己家畜化」過程と呼ぼう。性的ディスプレイを有限状態文法にまで進化させるのは、性淘汰によって当初方向づけられた行動が、人間の自己家畜化により制約を緩和されたことで、より極端な方向に変異が蓄積されていった結果である。

 本書が人間の言語進化について直接的に触れるのは末尾の件だけで、ほとんどジュウシマツのことばかりが語られているのですが、このジュウシマツの家畜化と歌の複雑化について触れられる度に、人類の自己家畜化ということを考えていました。それが最終章で語られているのはとても納得できました2
 一点、違和感があるのは、終章の中で意味の析出が「歌と歌の共通項の括りだし」として語られていることです。ここはむしろ、共通項ではなく差異から意味が生成される、と考えるべきでしょう。というより、意味はそもそも差異化の運動そのものですから、実体としての辞書的固定的意味が「存在」するわけではありません。わたしたちは依然としてただ「さえずっている」だけで、その変奏として浮かび上がるのが意味という現象と捉えるべきです。

 おそらく本書が一般の関心を呼ぶのは、この人類の言語進化との関連についての部分で、わたし自身もそこが主たる関心だったのですが、地味で根気のいるジュウシマツの研究が延々と語られている部分(本書のほとんど)も、非常に面白かったです。生物学についても動物行動学についてもまるで素養がなく、地味な研究内容などが延々と書かれている本は大抵退屈してしまうのですが、全く飽きることなく楽しませて頂きました。ジュウシマツの家畜化された経緯、種として分離されてからわずか250年で非常な歌の複雑化を見せていることなどは、興味深く読みました。
 加えて、この筆者の文体がとても魅力的です。
 「歌」の研究をしているだけあって、濃厚でコブシのきいた詩的でダイナミックな文体で、研究者の書いた一般書とは思えないほどです。多分この人は、ソウルフルなノリな人なのではないかと思います。

  1. 交配可能だが繁殖不能な類縁種と混在して暮らす時に、種の識別の為に複雑さを抑制したさえずりをすることが必要なくなる、ということ []
  2. 自己家畜化については『ペット化する現代人―自己家畜化論から』が読みやすく面白かったです []
kharuuf

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kharuuf

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