Categories: メモ雑記

طارق

 طارقという単語を見たら、ムスリムならまずوالسماء والطارقと思い出すでしょうが、そのطارقではありません。
 アフマド・ヘルミーの映画にظرف طارقというのがあります。これは「طارقの状況」という人名としての意味と、「緊急の状況」、つまりطارئをかけています。つまりءをقで書いているわけです。
 エジプト方言でقがءになる場合が多いのはよく知られていて、アーミーヤ表記もこれに併せてءにしてしまっている場合がありますが、その逆パターンということです。
 قをءで書くのと違い、元々ءなものをقにしてしまうというのは、表記上別にメリットも何もありません。ですから、あまり見かけないのですが、それでも可能であるということは、当たり前ながらエジプト人の脳内でقとءが連合している、ということでしょう。
 ほとんど見かけない一方、طارئをطارقと書いているのは複数回見たことがあります。これは映画ظرف طارقの影響なのか、他に理由があるのか、よく分かりません。何となく「طارئってطارقっぽくね?」というイメージがあるのでしょうか。そう思って見ると、段々طارقがキンキューっぽい感じがしてくる気もするのですが・・。

 関係ないですが、سورة الطارقのطارقは、遠くの星からパルスが届く様を予言しているのだ、という解釈を掲げる人が時々います。何度も書いている通り、わたしはこの手の「クルアーンは現代科学を予言している!」説が大嫌いですが、最近面倒臭くなってきたので、それで納得するなら勝手にしてくれ、という気分にもなっています。面と向かって話されるとニコニコするのが疲れるので勘弁して欲しいですが・・・。

kharuuf

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