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殺しの作法

 Twtterで書いたのですが、今部屋にねずみがいます。
 今まで三回目撃しているのですが、取り逃がしています。罠をしかけるか何かして捕えるつもりです。
 最初に見た時はただびっくりしていたのですが、二回目になるとねずみの動きに目がなれてきて、ヤツの顔貌がある程度わかるようになりました。掌に収まりそうな可愛らしい小さなねずみです。
 わたしはかなり動物好きな人で、子供の時の思い出などからウサギやらモルモットやらというアホそうな小動物が特に好きなのですが、考えてみると、今敵として対峙しているヤツも、大して変わらないわけです。
 ものを齧られたり病気を持ってこられたりすると困るので、放っておくわけにもいかないのですが、自分がヤツをたたき殺したり、袋に追い詰めて撲殺する状況を想像すると、ちょっと胸が痛んだりもするわけです。
 
 動物愛護や自然保護の観点から、様々な局面で「動物を殺すな」という声があがることがあります。中には暴走した本末転倒なものも見られますが、どんな宗教を信じていようと、何の宗教的観念を持っていなかったとしても、矢鱈滅多に動物を殺して良いと思っている人はあまりいないでしょう。
 一方で、食料や衛生・生活の安全上の理由で、人間は動物を殺します。
 現代のいわゆる「先進国」では、多くの場合このプロセスが不可視化されていて、一般消費者はスーパーにならんでいるツルンとした鶏肉を眺めるだけで済んでいるわけです。これは便利ではあるわけですが、殺すリアリティを隠蔽してしまう、という意味で危うい一面もあります(人の死についても似たことが言えます)。
 要するに、「可愛い」動物と「怖い」または「おいしい」動物というのは、連続しているのです。この連続性が、非常に重要です。
 ちなみに人の死だって「連続的」なもので、現代のようにお医者さんが脇に立って「臨終です」と宣言してくれればデジタルですが、本来「今死にました!もう絶対生き返りません!」というラインは明瞭なものではありません。養老孟司さんが確か『唯脳論』の中でこの話題に触れ、中世日本で描かれた「人が病んで段々腐っていく」絵を示しているのですが、どこの時点で死んでいるのかはよくわかりません。だから生き返らないように葬という象徴的プロセスが必要だったのでしょう。葬儀とは、人間が決して生き返らず向こうから帰ってこられないよう、象徴的に「殺す」儀式のことです。サンボリックな意味での人間は、人間自身が「殺さ」ない限り、決して「死ぬ」ことがありません。
 
 動物の話に戻せば、結局のところ「無闇に殺すべきではない」動物とスーパーの鶏肉はつながっているのであって、重要なのは「殺しの作法」です。もちろん殺さないに越したことがないので、「殺しの基準」も大切です。
 イスラームで言えば、バスマラを唱えて殺す(主の御名の元に屠る)ことが必要なわけで、殺し方の作法にもある程度の制約があります。しばしば「苦しまずに殺す方法」とされていますが、本当のところはわたしには分かりません。極論すれば動物の心なんて誰にも分からないわけですが、重要なのは、
①我々以上の存在の元に殺す
②動物たちと恒常的に接し、殺し慣れている者の感じ語る「動物の苦しみ」を尊重する
 ということでしょう。
 
 最近で言えば、マクドナルドのチキンマックナゲットで使われる鶏の屠殺方法が残虐である(意識のあるうちに捌いている)と批判するニュースを目にしました。また捕鯨に関しては、延々と続く衝突があります。
 これについて「殺し方を考えろ(あるいは殺すな)」「テメーらも牛食ってんじゃねーか」とやりあっていても仕方ないのであって、狂信的なヒステリックな論は排除するにしても、残りの者については、「殺しの場」に向きあって、作法を重んじるしかないように思います。
 マクドナルドについて言えば、ぶっちゃけ殺すところを公開すれば良いのです。主の元で恥ずかしくない殺し方をしているなら、堂々と見せれば良いのですし、逆にそんな「グロイ」場面を見られないというなら、それも鶏を食べさせて頂く資格がありません。映像見ながら食事しろとまで言いませんが、殺しに立ちあって目を覆うなら、鶏にもアッラーにも失礼というものでしょう。
 
 と、大分話が大げさになりましたが、当面の個人的問題はねずみです。
 アイツがまたすばしっこくて、徒手空拳ではおよそ倒せる気がしません。ドブネズミみたいに大きいわけでも大量発生しているわけでもないので、すぐ殺さないとマズイ、という程ではないのが、幸いでした。うまく罠にかけられたら主の御名の元に召されて頂きますが(食べませんが)、なんとなくトムとジュリーみたいにずっとドタバタやっている気もします・・・。
 
追記:
 まったくの個人的嗜好として、ウサギだけは食べられません。殺し方が正しければもちろんハラールですが、食べないと罪ということはないでしょう。気が狂ってわたしにモロヘイヤのスープをご馳走してあげようなどと思いついてしまった方は、申し訳ございませんが別のものでお願いします。昆虫は食べられますが、確かハラームでしたよね(うろ覚え)。

kharuuf

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