アラブ世界では、一般に女性に対する「早よ嫁にいけ」「子供はまだか」圧力が強いです。その他の社会的プレッシャーも、かなりやかましい方でしょう。
欧米には、こうした社会的風潮をイスラームと結びつけ批判する向きもありますし、実際イスラーム的なものだと信じて女性に対し抑圧を加える人々もいるのですが、わたしが交友のある範囲の女性たちは、一様に「これはイスラームとはまったく関係ない。イスラームを都合よく利用している悪習だ」と批判しています。厳密な法解釈がどうなるのか知りませんが、単なる因習をイスラームとごっちゃにして正当化するのは、ムスリムが多数派の地域全般で広く見られる風潮でしょう1。
それはともかく、アラブ世界では人間関係も異常に濃密です。親戚関係も非常に密で、近隣住民が皆知り合いで家族のように付き合っている風景もあります。ただし、カイロのような大都会では、こうした昔ながらの濃い人間関係も薄れている傾向があり、古き良き時代を懐かしむ声や、「カイロは所詮シティライフで人間関係も何もあったもんじゃない」という話もよく聞きます(それでも十分濃いと思うのですが・・)。
社会的圧力と濃い人間関係、この二つについて、何となく「人間関係が濃ければ、勢い他人に対する干渉も強くなり、惹いては理不尽な圧力にもなるのだろう」と、今まで素朴に考えていましたのですが、ちょっと目新しい見方を耳にしました。
彼女は二十代の教育あるエジプト人で、割と信仰熱心でやや神経質なタイプです。彼女の暮らしている地域は、昔は「地域全部が家族のよう」だったのに、近年では「欧米からの考え方が入り」「家族が分断されてしまったよう」だと言います。一方で、「子供はまだか」的な圧力に苦言を呈し、結婚してまだ二ヶ月しか経っていないのに「子供子供」と言われ続けてノイローゼになってしまった友人の話も聞ききました。
わたしとしては、濃い人間関係があるからこそ、おせっかいがまかり通るのではないかと思うのですが、彼女によると「不当な社会的圧力の元凶は、地域の人間関係が分断されてしまったことにある」そうです。
ちょっとロジックが不明瞭なのですが、よくよく聞いてみると、昔なら介入は自然なことだったのが、人間関係が希薄になり、にもかかわらず昔からの慣習で他人への関心を深くする人物がおり、これが圧力となっている、ということのようです。
そう聞いても「それは昔のやり方を忘れられない方が問題だろう」と受け止めてしまうのですが、「古き良き時代」であれば、お互いの信頼関係があったため、「不当な圧力」とはならなかった、という考えのようです。
この解釈の妥当性については何とも申し上げられませんが、新鮮な見方だったのでご紹介しておきます。
わたし自身は、彼女の言う「古き良き時代」のような環境は成長過程で経験したこともないですし、現代日本の「希薄な」人間関係すら耐え難い対人能力ゼロの不適応者のため、「シティライフ」のカイロでも、到底人付き合いしていく自信がありません。まして地域全体が一家族のような世界は、どこぞの田舎のドロドロのようで、想像するだに恐ろしいです。その恐ろしい世界の方が「圧力」が少ない、というのは、一体どういうことなのか、正直うまくイメージできていません。
確かに、幼少時から濃密な関係に馴染んでいて、互いの信頼関係がよく醸成されていれば、圧力が暴走することもなく程良い調和が取れる気がしないでもないのですが、仮にそうだとしても、一回失われたところで取り戻すのは容易ではないし、もともとそんな環境も知らずに育った人間が、新たに参入して馴染んでいくのは至難の業でしょう。
ちなみに、彼女は「音楽もダンスもハラームだ」という考えの持ち主ですし、小説の中でちょっとおどけた調子で楽園追放場面が描かれていても不快感を示すくらいですが、子どもにヒジャーブを着せるようなことには反対で、二カーブについては「ファルドではない」と断言し、その弊害(見栄のために使われる、治安上の問題、職業が制限される等)も認めています2。
それくらいの「宗教度」の人の考え、ということですが、そもそも本質的にはイスラームプロパーの問題ではないので、あまり関係ないかもしれません。
追記:
女性への圧力という点に限って言えば、当然女性の権利や教育、職業機会などの問題と連なるわけで、これらについても大抵の教育あるムスリマは肯定的で(そもそもその「教育」を女性に与えることが、すべてを変える第一歩なのですが)、「既得権益を持つ者がイスラームを濫用して口実にしている」という批判をよく聞きます。
一方で、イスラームそのものを抑圧の源としたり、「ヒジャーブは抑圧の象徴」とするような論には強い反発を示し、一時代前のフェミニズムはまるで人気がありません。イスラーム・フェミのような流れが主流になっているのでしょう。