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『聖なる家族―ムハンマド一族』森本一夫

聖なる家族―ムハンマド一族 (イスラームを知る)
森本 一夫
山川出版社 2010-02

 預言者ムハンマドの末裔とされる人々の歴史と社会的位置づけを概説した一冊。
 入門書的な本なのに、目新しい内容も多く、非常に楽しく読めました。内容もさることながら、著者の飄々とした語り口が気持ち良いです。保坂修司さんのスタイルを彷彿させます。イスラームについての深い前提知識がなくてもまったく問題ありません。
 個人的に特に面白かったのは、ムハンマド一族の「社会増」という現象。
 そもそもムハンマド様の子孫をどのように定義するのか、という大問題から分かりやすく解かれているのですが、その問題は一旦脇に避けても、生物学的な子孫の自然増以外に、ムハンマド一族は社会的な要因で「作り出され」ているのです。
 その原因の一つは、一族の受ける特権と系譜同定の困難さによる詐称等ですが、もう一つ著者が紹介している面白い例が、「超自然的な理由による社会増」です。著者は、個人的にテヘランで出会ったサイイド(ムハンマド様の末裔)の青年についてのエピソードを紹介しています。

(青年の)お父さんはおおよそ以下のことを語った。まず前段として、一族の女性に大きな卵型のほくろをもつ人がいたこと。それから話のヤマとして、ある日、一族の子どもが火の入ったパン焼き窯に落ちたが、やけどひとつ負わずに救出されたこと。そして、その時点ですべてが明らかになったこと。つまり、女性のほくろは預言者のふたつの肩甲骨のあいだにあったとされる通称「ハーシム裔のほくろ」であり、D君一族にはサイイドの血が流れていることが「判明」したというのである。さらにお父さんは、そうして「再発見」された血統は、当時のシーア派の最高権威であったB師によっても認定されたと語ってくれた。

 非常に興味深いです。
 現代日本の世俗的空気の中で育った人間なら、「それは違うやろっ」とツッコみたくなるのが普通だと思います。ですが、重要なのは、当事者を含む人々が、邪心なくこれを信じ、社会的な認定が成り立っている、ということです。
 超自然的な理由によるのでなくても、上述のように、そもそも厳密な血統の同定は極めて困難です。通信手段も限られた時代に、各地に散った末裔のデータベースを管理し続けることなどほとんど不可能ですし、遺伝子的調査手法が使える現代であっても、ムハンマド一族は単純に父系の連なりがある子孫だけを指しているわけではないので、同定は簡単ではありません(もちろん、対象が対象だけに遺伝子を調べる方法など実際上不可能)。
 つまり、「ムハンマド一族」という存在は、最初から社会的な存在であって、生物学的根拠というのは、絶対のものではない、ということです。社会が承認しているなら、それが「ムハンマド一族」なのであり、それで十分なのです。そして超自然的な現象にしても、「実際に」あったかどうかなどということは大して重要でもなく、要は皆がそう信じられるかどうか、というだけです。「説得力」があれば合格点なのです。
 
 わたしたちは、科学技術の力などによって、あたかもモノ自体が直接確認できるかのような世界観にすっかり洗脳されていますが、経験主義科学は対象世界への無限の漸近線を描くだけで、対象そのものを直接わたしたちに認識させてくれているわけではありません。ですから、実は現代社会であっても、「合意」こそが「真理」というのは通用してしまっているのですが、こうして世俗社会とは大きく異なる社会的力動によって動いている世界を見ると、「みんなが信じればそれが真理」という力の大きさを、改めて確認させられます。
 
 著者はムスリムではなく、超自然的な力も「信じていない」と断言されていますが、ポジティヴな語り口のせいか、信徒の端くれのそのまた爪垢のような人間が読んでも、不快感なく楽しめました。有難うございます。
 どうでもいいことで一つ不満を言えば、百ページちょっとの分量で新書的な内容なのに、1200円はちょっと高いです(笑)。

kharuuf

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kharuuf

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