イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史 (講談社選書メチエ) 菊地 達也 講談社 2009-08-11 |
タイトルからアクの強い一冊を予想していたら、意外と淡々とイスラーム法学・神学の展開を追う構成でした。イスラーム思想史概説書としても読めると思います。ただしシーア派、特にイスマーイール派に多くの紙数が割かれています。
個人的には、冒頭での「異端」概念を巡る論考と、末尾近くのスンナ派での理論構成、そしてドゥルーズ派などの「限界宗派」についての記述が、特に面白く読めました。
いくつか興味深かったところをメモしておきます。
まず、イスラームにおける「異端」概念についての議論から。
キリスト教とイスラーム教が比較される場合、前者がorthodoxyを求める宗教であるのに対して、後者はorthopraxyの宗教であると説明されることがしばしばある。ユダヤ教内の律法主義を批判しながら成立したキリスト教では信条・教義の正しさが求められるが、ユダヤ教と同様に戒律重視であるイスラーム教では、まず求められるのはおこないの正しさということである。宗教の全体的な傾向について言っているのなら、このような対比は間違ってはいない。近代初期までの西欧においてたびたび実施された異端審問のように、人の思想・信条に立ち入り、それを裁こうとする試みは、同時代の中東イスラーム圏ではあまり起きなかったのも事実である。
もちろん、異端排斥的な教義論争がなかったわけではなく、本書内の引用箇所でも留保がされていますし、マアムーンのムウタズィラ派正統化による「異端審問」についても概説されています。
本書全体の流れとしては、まず比較的教義の明確な「異端」が分離することで「その他大勢」としてのスンナ派が析出されてきて、多数派が遅れて理論構成する、という展開となっています。この歴史展開について、キリスト教におけるグノーシス派の「分派」との比較なども触れられています。
続いて、スンナ派におけるカリフ論と無謬性についての議論から。
(・・・)イマーム派系のイマーム論では、イマームは人間の中で「最良の者」であると定義される。これに対し、マーワルディー1の理論において重視されるのは、カリフの資質よりむしろ統治契約成立の有無である。マーワルディーはカリフの条件として、公正であること、知識があること、五体が健全であること、臣民を統治し公共福祉の増進を促すような意見を持っていること、イスラーム教の敵と戦う勇気と気概を持っていることなどをあげている。だが一方では、カリフ選出時に「もし、より優れた方の人物を推挙したが、不在や病気であったという事情や、あるいは劣っている人物の方が、人々の服従を得やすいとか、人身を掌握しやすいとかの理由によるのであれば、この選挙は有効で」あるとも主張している。マーワルディーにとって、カリフは無謬どころか最良でなくても構わない。劣っているからこそ都合が良いという理由でカリフが選ばれることすら、彼は許容する。また、カリフが在任中に精神に異常を来したり、身体に欠損を生じた場合にカリフが廃位される場合もありえると考えている。このような事態も、理論上は無謬のイマームには起こりえないことであろう。
何の根拠もない個人的な感覚としては、預言者ムハンマド様といえど人間であり、「宗教的な事柄」2以外では間違い得る、と考える方がイスラームの原理に即していると思え、ましてカリフやその他の指導者となれば、こうした実際的な捉え方をする方が共感できます。
ちなみに、カリフ制と言えば中田考先生ですが、氏のweb上にあるテクストのうち、カリフ制に特に関係の深そうなところをリンクしておきます。
karif.pdf カリフ制こそ解答(pdf)
現代イスラームのバイア論(1)
現代イスラームのバイア論(2)
イスラーム法学に於けるカリフ論の展開
統治の諸規則 アル マーワルディー 湯川 武 慶應義塾大学出版会 2006-05 |