Categories: メモ雑記

「世界史」の想い出と脱「世界史」

 最近、おそらく僕は今まで世界史を全く勉強せずに生きてきました.大学受験時代は,ただの丸暗記教科と見ないしていて興味がわからなかったのです. しかし,今は,現代というものがどう.. – 人力検索はてなという質問を発端に、はてな界隈で世界史関連の話題をよく目にします。
 単なる個人的感傷ですが、世界史という「科目」には特段の思い入れがあります。
 わたしは超進学校の出身で、最終的には京都大学にも入れて頂きましたが、中学から高校一年生くらいまではまったくのダメ生徒で、授業は寝てばかりでバンドやら文学やら自主映画制作やら、好き放題なことをしていて、成績は下の下でした。小学校の時は「神童」だったのですが、進学校の中では普通のレベルで、加えて学校というものがが大嫌いだったので(これは今に至るまで嫌いですが)、中学以降は落ちる一方だったのです。
 高校一年の終わりか二年生くらいになり、流石に危機感を感じるようになりました。受験が迫っていたから、というより、あまりに成績が悪く、留年か退学になりそうだったのです。
 そこでやっと重い腰を上げて勉強を始め、なぜか英語だけはすぐに成績が良くなったのですが、もう一つ、世界史というものに非常に惹かれました。
 なぜなら、他の科目が中学、場合により小学校からの積み重ねの上に成り立つのに対し、世界史というのは高校で初めて習うものだからです。これなら、他の生徒と同じスタートから出発てきる、と思ったのです。
 加えて、世界史という科目の内容も、大変わたし好みでした。幼い頃から新聞が大好きで、その中でも国際面が一番のお気に入りでした。なぜならスケールが大きいからです(笑)。
 国内ニュースや日本の歴史は、なんだか小難しい漢字が並んでいて、いつもチマチマしたことばかりしています。これに比べ、国際ニュースや世界史は、同じ虐殺でも百万単位で殺したり、とにかくスケールが大きい(不謹慎ですいません)。この派手さが気に入りました。
 また、カタカナが多いのもよろしい。わたしはカタカナ語や英語には抵抗がないのですが、漢字が非常に苦手で、全然覚えられません。今でも書けません。ですから、世界史は非常に親しみ易く、唯一の難点は中国史でした。
 京都大学文学部の入試では、センター試験と二次試験で異なる社会の科目を使わなければならないのですが、最終的にセンターで日本史、二次で世界史を使ったのも、漢字が書けないからです(笑)。
 
 受験世界史学習の難点であると同時に面白いポイントなのは、時間軸と共に空間上の布置が変動していくことです。一口に「ペルシャ」とか「フランス」と言っても、時代により国境や支配領域そのものが変動していきます。時間軸で捉えると同時に、空間的な変動を立体的に理解しなければなりません。わたしは時間で輪切りにした地図を何枚も作り、パラパラ漫画状に支配領域の変化がわかるようにして頭に入れました。
 こういう作業をしていると、国家とか国境とかいう考え方が、近代的な尺度を後付けで押し付けたものにすぎない、というのがよくわかります。教科書なので一応「ここまで支配」という線が引かれていますが、それも「大体こんくらい」という話で、そのライン上の場所など、多分ただ荒野が広がるだけで支配もヘッタクレもなかったに決まっているのです。
 結果的には「面」のようになりますが、実は人間というのは、都市という「点」と街道という「線」でほとんどの生活を終えるもので、アレキサンドロスでもモンゴル帝国でも、要するにあるラインに沿ってガンガン進んで、人が集まっているところでドンパチ、というのを繰り返していたのでしょう。「面」というのは結果にすぎません。
 
 以上は単なる感傷で、今現在リアル受験生の方には少しは役立つかもしれませんが、件の質問者の問いに答えるものではないと思います。
 ただ、学校的・受験的な「世界史」が何の役にも立たないかと言うとそうでもなく、既存の「世界史」がバイアスにまみれたものであったとしても、とりあえず叩き台にはなるわけです。そういう意味では、学校の世界史の教科書だって役に立つし、最低限の教養がないとお話になりません。
 教養の時の哲学系のゼミで、「検証可能性を明示できない言明は無意味である」という論理実証主義的考え方の例示として、「現フランス国王は禿である」という有名な喩えがあげられたのですが、これに対し一人の学生が「禿なんですか? 知りません」と真顔で答えていて唖然としました(こういう人も京都大学に入っているので、京大生なんてアホばっかりです)。まず、最低限の教養を身につけましょう。その為には学校の勉強も役に立ちます。
 
 その上での「世界史の脱構築」(笑)として、個人的に良いかな、と思う本を列挙してみます(いくつかは質問への回答であげられています)。

科学革命の構造
中山 茂
みすず書房 1971-01
帝国以後―アメリカ・システムの崩壊
石崎 晴己
藤原書店 2003-04-30
世界史の第二ラウンドは可能か―イスラム世界の視点から (これからの世界史 (2))
平凡社 1998-09
遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて (日経ビジネス人文庫)
日本経済新聞社 2003-01

 特にイスラーム関係は、学校世界史ではさんざんな扱いなのですが、これはヨーロッパ中心的な歴史観をそのまま受け売りしているためです。学校に限らず、日本における歴史観全体に言えるでしょう。
 もし「教科書ではないリアルな世界史」を学びたいなら、ここを意識して欲しい、と個人的には切に願っています。

kharuuf

Share
Published by
kharuuf

Recent Posts

カミユ『ペスト』

 カミユの『ペスト』を漫画化し…

1年 ago

私信です

このポストはまったくの私信です…

4年 ago

不可知論のギリギリ一歩手前で永遠に宙吊りにされた

何が正解かわからないから人はパ…

4年 ago

体験の墓石

写真は多くの場合、最初は体験と…

4年 ago

過去が圧倒的にわたしたちを飲み込んでいる

過去を肯定する、という言い方は…

4年 ago