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なにか義務に似たものが、そこで開かれないまま、わたしたちとは関係なく運動している

「開かれていなければならない」という強迫があり、それが逆説的に人々の視野を狭めている。
仕事以外には娯楽という言葉以外で正当性を許さない文脈があり、娯楽は開かれていなければならない。開いた上で「興味ないです」ということは可。そういう文脈だ。
表現も芸術も広義の娯楽であり、それは開かれていなければならない、というわけだ。
言うまでもなく、生活とも「娯楽」とも違うものがそこには存在するのだが、他なる享楽として排撃される。「民主主義の敵」となる。
説明可能性とチャンスの平等によって裏打ちされたフラット世界観は、実のところ極めてマチズモ的であり、ファルス享楽以外のすべてを敵視、または神聖視する。楽しみではない何かがそこにはあることを認容しないし、するとしたら、そこに様々な物語を被せて了解しようとする。母性神話然り、「宗教」然り。
なにかがわからない時、それはわからないように示す者が悪い、「開かれて」いないのが悪い、と考えるので(そして金を払わないので)、永遠に自身が変化しない。即時的実現だけがすべてになり、欲望は宙吊りにされない。結果、換喩的な意味作用(シニフィカシオン)が作動せず、意味は言葉に固着し、言葉はモノに固着する。つまり「定義」から演繹していけばすべては了解されるであろう、というナイーヴで倒錯的な世界観だ。
なにか義務に似たものが、そこで開かれないまま、わたしたちとは関係なく運動している。それは自生しており、わたしたちの助けを必要としないが、わたしたちはその助けを必要としているのだ。

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