旧日本軍の捕虜となり残虐な扱いを受けた元イギリス兵の方々より聞き取りされている方のお話です。
日本の捕虜になった元英国兵士たちの対日感情に向かい合ってきた方のインタビュー – Togetter
ラジオ深夜便 聴き逃し- NHK
聞いて頂ければそれで良いのですが、個人的にはっとしたことを二点。
一つは元捕虜が無理やり歌わされていた歌の意味をインタビュアーから知らされた時の反応。わけのわからない言葉で非人間的な扱いを受けて機械的に口にさせられていたものの意味がわかった時「するとあれは文化だったのか」「そうだよな、文化があるはずだよな」と言ったという下り。現在のわたしたちの(ほとんど第三者的で安全な)視点からすれば当たり前のことですが、渦中で生死の境を彷徨っていれば思いもつかないことがあります。その思いもつかなさ、というものに対する想像力が試されているように思います。月並みではありますが、何かを理解したり知ってしまっている、ということは別の何かが見えなくなっていることです。
もう一つは、「今和解しなければもうチャンスがない」ということ。そういう言い方を放送の中ではしていませんが、元捕虜らの世代が年老いてこの世からいなくなれば事態は解決する、というのは楽観的に過ぎる、ということです。
元捕虜自身もそのように口にしますし、そのように考える人は多いのですが、元捕虜から悪鬼の如き日本兵の所業を聞かされて育った子どもたち、孫たちは深くそのイメージを刷り込まれていて、むしろ元捕虜ら自身より深く日本を憎悪しているそうです。そこはなんとなく理解できます。そして重要なのは、元捕虜(や似た被害者)と辛抱強く対話することにより過去の出来事を相対化することが(簡単ではないにせよ)可能であったとしても、その子孫に刷り込まれたものを覆すのは容易ではない、ということです。なぜなら彼らにとっては、刷り込まれた考えを覆すことはそのまま(今はなき)父祖の言葉を否定することであり、場合によっては父祖に対する侮辱です。死んだ者はもう考えを変えません。子孫たちにとっては、どこからかやって来た人の良さそうな日本人と今はなき父祖の二者択一のような事態になってしまう、ということです。
この状況にあってももちろん、目の前にいる生きた人間との対話を重んじる、ということは多いにありえるでしょうが、そうだとしても、彼らの心中には「何かを裏切った」わだかまりのようなものが発生することは容易に想像がつきます。繰り返しますが、死んだものはもう言葉を変えません。今ここにいない者の言葉は常に生きた人間の言葉より重く決定的です。わたしたちがしばしば引用や故事成句を用いて自らの言説を強化するのはこのためです。和解しなければいけないことがあるなら、生きているうちが一番簡単なのです。
もちろん、この世界には死んだ者の言葉を背負って争い続ける人たちが絶えませんし、そもそもわたしたちの言葉とは常に死んだ者の言葉、<他者>の言葉である以上、呪いから完全に解き放たれることなどあり得ないわけですが、できることが何もないわけではないでしょう。
などと言うとお行儀が良すぎるでしょうか。良すぎるでしょうね。今こうして書きながら、都合よく綺麗にまとめすぎだと思っています。社会的にはお行儀良くした方が良いでしょう。でもまとめてしまうことで、結局人は状況から見を引き剥がし、安寧な眠りの中に戻るのです(たぶん、ここが道徳と倫理の分水嶺であり、物語と文学の分かれ目でもある)。
むしろ、わたしたちがその中に産み落とされた言葉のままに、「きちんと争う」ことを通じてしか、その争いの向こう側には行けないのではないかと思います。争いは個別的単独的で、己自身の戦争を戦わなければ、一般的な争いもその彼岸もないわけですが。
そこにはただ個別的具体的な言葉と生があるだけで、いかなる形の一般化も正解も見つかりません。