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見ず知らずの無名人、「書かれたもの」の力

 前に無作法な書き言葉ということを書きました。書き言葉というのはわたしたちにとってまだ新しい「技術」であり、それがあたかも話し言葉を写したもののように錯覚されることで、様々な誤解やすれ違いの一因となっているのでは、というお話です。他人が自分の幸せな出来事などについて書いたものに「それで傷つく人もいるのに」などという反応が一例です。
 こうした現象は顔を合わせてのコミュニケーションでも発生する可能性はありますが、やはり書き言葉であることで、エスカレートする危険性が遥かに高まっているのでは、と思います。とりわけ、話し言葉を写したものとして錯覚されているネット的書き言葉では、こうしたリスクが更に高まります。
 考えてみると、こうした「書かれたものに対して感情が暴走する」現象自体は、昔からあったものでしょう。少なくとも、書記と書籍が大衆化してからは、本の筆者に一方的に惚れ込んだり、といったことはしばしば起こっていたのでは、と思います。ただ、かつては書き手と読み手の距離がずっと遠く、抱かれた幻想は幻想のまま維持され、書き手の方も直接被害を受けることは少なかったのでしょう。
 しかし現代では、書き手と読み手の距離は遥かに近くなり、簡単に垣根を越えられてしまいます。「無名の書き手」も無数にいらっしゃいますから、「見ず知らずの無名人」の書記を目にする機会も非常に多くなりました。無名人の書記自体は新しいものではありませんが、かつてであれば、ほとんどは「顔見知りの無名人」に限定されていたでしょう。ネットの一般化によって初めて、「顔見知りの無名人」「見ず知らずの有名人」に加えて、「見ず知らずの無名人」の書記という、新しいジャンルが開かれたのです。
 「見ず知らずの無名人」は、「顔見知りの無名人」のような直接的コミュニケーションやそれによって蓄積された前提知識・共有物といったサポートが得られません。一方で、「見ず知らずの有名人」の持っているガード力や高度な書記能力といった障壁もありません。その結果、思いもよらぬ解釈により激烈な感情を差し向けられてしまう危険性が露わになった訳です。そんな感情を差し向ける方も楽ではありませんから、「思いもよらぬ感情を引きずり出されてしまう危険」も同時にあります。
 ここから身を守るには、出来れば再び「作法」を確立することだと、個人的には思っています。かつてのように書き言葉が話し言葉とは明白に異なる技術として成り立ってくれれば、障壁はそれだけ大きくなります。音楽や絵画の作品と同程度には人格から距離のあるモノとして見られれば、感情の暴走はかなり防げる筈です。
 しかし「作法」の確立というのは、実際的にはかなり望み薄です。現実的には、単純に「書記のみによるコミュニケーション」の敷居を高くする、なるべくそんなものは行わない、というくらいになってしまうでしょう。
 心構えとしては、そもそも書き言葉から「読み取る」ものは、要するに自分の頭の中にあるものでしかない、ということを肝に銘じることでしょう。もちろん、書き手からも何事かは伝わってきているのでしょうが、わたしたち自身が思っている以上に、自分勝手な解釈、都合の良いファンタジーしか抱いていないのです。少なくとも、わたしはそう考えて用心するようになりました。わたしが特別幻想を懐きやすい、思い込みの激しい人間だ、というだけかもしれませんが。
 個人的な経験の範囲では、書かれたものを読んでその後書き手と顔を合わせた時、書かれたものより印象がプラスに転じた、ということはほぼありません(別に「悪い人だった」という意味ではありません。相対的な問題です)。そんな「伸びしろ」のある(わたしにとって)つまらない文章を書く人とはわざわざ会わない、というのもあるでしょうが、書き言葉から伝わる書き手そのもののイメージというのは、当然極めて断片的な訳で、残りは脳内補完で都合良く理想化して見立てている訳です。そんなファンタジーに現実の人間が叶う訳がありません。
 わたし自身についても、もしわたしの文章をポジティヴに評価して頂いている方がいれば、実際に会ってみたわたしはその人のイメージより劣るものでしょう。最初から「ゴミみたいな文章だ!」と思っていれば、基準が低いのでそれよりはマシになるかもしれませんが。
 書記を前にしている時、わたしたちは、見えない誰かが与えてくれた天の言葉を読んでいるような気分になるかもしれませんが、それはあくまで自分の脳みそが作り出したファンタジーです。楽譜だって、誰がどう演奏するかで全く違うものになるし、トランペットの音色がいかに素晴らしくても、その音色そのものは楽譜に書いてある訳ではありません。
 書記というものには人を酔わせ恍惚とさせる不思議な力がありますが、それは別に書き手の持つ力ではなく、「書かれたもの」というものから発せられる魔力なのでしょう。

kharuuf

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