わたしが見ているということは何によって確証されるのだろうか。 わたしは今、本当に見ているのだろうか。 目を閉じてまた開いた時、見えるこれは、わたしの見ているものなのだろうか。
これは、「これ」が「あれ」ではない、つまり「あれ」の写しにすぎない、ということを問うているのではない。 「これ」が「これ」なのか、という問いだ。 だから、「これ」を既に手にとっているわたし、そのわたしが、「これ」と名指すに足るわたしなのか、それが不安で仕方ないのだ。
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