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支離滅裂にしか世界を見られない速さ

 シューティング、掣圏道の創始者である佐山聡氏が「イクメン、料理男子は共産思想!」なる発言をして一部で話題になっていました。

「イクメン、料理男子は共産思想!」佐山聡氏、吼える | 日刊SPA!

 この発言は、言葉の上で見る限りはどう考えてもかなり無茶苦茶で、心情的にも同意できないのですが、こういう考え方が出てきてしまう、そういう「有り様」というものに興味があります。
 須藤元気氏という元総合格闘家は、ダンサーや俳優としても活躍し、素晴らしい身体感覚を備えていらっしゃいますが、スピリチュアル系にも傾倒し、その手の著書も出しています。某空手家は、身体的ハンデを超人的努力で乗り越え、達人とも言われる域に達しましたが、「オーラが見える」といった著書を出しています。その他、武道家やトップアスリートの中には、オカルトやスピリチュアル、極端な思想などに熱を上げる人が結構見られます。
 こういう時、「誰にでも得手不得手がある」「『専門』以外のことについては素人なのだから」と言ってしまうのは簡単ですし、また世の中的な流し方として妥当でもあるのですが、それだけでは済まない部分もあります。ある種の「激烈な支離滅裂さ」が、用意されたかのように導き出されていることがあるのです。ある種の「トンデモっぽさ」は、「あるべくしてある」のです。
 わたし個人としては、そうした思想それぞれの具体的内容については、ほとんどまったく同意できないのですが、そのように世界が見えてしまう「有り様」は重要であり、多少は理解できます。
 体や地球と、「ケモノのように正しく」向き合おうとすると、ほとんど必然的に、通念上の合理感覚というものが飛ぶ領域が現れます。これを主観と客観、と整理してしまうのは、まったく正しいですが、そう整理できている時点で「まだまだ」です。
 もう、「そうとしか思えない、そのようにしか世界が見えない」という境地に達しないといけません。
 そこで語られる言葉には、個別に見るとまったく馬鹿げているのですが、全体として眺めると「まるで筋が通らないのに何だか分かる気もする」ものがよくあります。ここで「分かる気」すらしないなら、その人は相当運動音痴か、国語の出来ない人だと思った方が良いです。「分かる気」はするけれど、「いやいや、それはないでしょ」とツッコミが入るのが普通の人間です。
 ツッコミが入るうちはまだまだ凡人だということです。
 ケモノに世界がどのように立ち現れているかといったら、まるで狂気のような偏った情念と価値判断に予め色づけられていることでしょう。ケモノにとって、世界はまったく公平でもクールでもカテゴリ的でも客観的でもない。それは、ニンゲンから見れば「愚か」な見方だし、罠にかかる動物や、人間よりずっと力も強く俊敏なのに檻から自由になれないものたちは、愚鈍に見えるかもしれません。
 しかし、彼らはその偏り故にこそ、世界との間に隙間一つなくピッチリと張り付くことが出来ているのです。
 逆に言えば、ここに隙間を作って、仮想化し、論理的なレイヤを分けることで、人間の文明というのは成り立っています。それはそれでスゴイことですし、そうした知性の極みのような部分が佐山聡氏のような発言を嗤うし、またわたし自身にもそういう心があります。ただ、わたし個人としては、そういう自分が退屈で愚かしくて我慢なりません。
 ケモノのように正しく速くピッチリと世界に反応できる方が、ずっと素晴らしいし、少なくともその方が喧嘩が強いです。
 言っていることの筋が通らなくても、喧嘩が強くてダンスが上手い方が、地上で生きていくのにずっと相応しい、と、わたしは信じています。少なくとも、人間以外のほとんどの生き物は、人間よりずっと上手く踊っています。
 ケモノは善悪の判断が出来ないので全員天国に行けるそうですが、それならわたしはケモノに生まれたかったし、今からでも出来ればケモノ道を歩きたい。信仰というのは、このケモノ道のことではないのか、と勝手に思っているのですが、違ったらすいません。
 とにかくわたし個人としては、ケモノ的な意味で極力バカになり、「オーラが見える!」と断言出来るほど、気が狂いたい。
 そのためには、例えば字が読めなくなる、といった修行が重要かと思っています。「字が読めなくなる」という経験とは、いかほどのものでしょうか。字が読めるようになった人は沢山いますし、大人になって読めるようになった(あるいは外国語を習得した)ら、そこにも感動があるでしょうが、「字が読めなくなる」のは、そうした経験とはまったく質的に異なるものです。これができたら、本当に物凄いことです。

 どんどん話がズレていきましたが、強いけれど支離滅裂なことを語る人がいる時、その内容については(残念ながら)納得がいかないのですが、その一方で、そんな言葉を一ミリの迷いもなく吐き出せる、その「有り様」については、素晴らしいと思うし、まったく(ケモノ的に)正しいと考えています。
 そのどちらを選ぶかというなら、断然ケモノの方です。
 多分、そっちの方がパンチが速いから。

kharuuf

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