中東 新秩序の形成―「アラブの春」を超えて (NHKブックス) 山内 昌之 NHK出版 2012-02-24 |
「アラブの春」関係の書籍がいつの間にか結構出ていますが、流石というか、その中でも網羅的で深く正確な一冊です。
日本のメディアではなぜか中東情勢に関する報道が非常に少なく(エネルギー安全保障だけとっても奇妙なことですが)、断片的な情報で十把一絡げにとらえてしまっている方が多いですし、また報道自体にも間の抜けたものがまま見られます。本書では、アラブ圏メディア論説の豊富な翻訳引用も含め、各国ごとに異なる状況や歴史的背景などを詳しく解説されています。
個人的には、トッド的な人口論的視点から解きほぐしている箇所などがとりわけ面白く読めました。こうした視点については、『アラブ革命はなぜ起きたか』もオススメです。各国ごとの政治事情などについては詳しくありませんが。
また、アラブ諸国には君主制国家と共和制国家が混在していますが、一般的なイメージと異なり、共和制の方がより「民主的」で、市民がより政治的自由を享受しているかというと、全くそうではない、という点も面白いです。「アラブの春」で打倒された、あるいは現在も混乱が続いているのは共和制の独裁国家です。バーレーンでも抗議活動がありましたが、これが他の革命運動とやや性質が異なることは、本書内でも指摘されています(これがどこまで妥当であるかは微妙ですが)。これは、君主制国家がより警察国家的で、抑圧が強い、ということではないでしょう。もちろん、君主制国家で十全な政治的自由が開かれているかというと、そんなことはないでしょうが、アラブの共和制独裁国家に比べて格別酷いということはないでしょうし、シリアとオマーンを比べれば、どう考えてもオマーンの方がマシな筈です。つまり皮肉にも、君主制国家の方が市民の不満が少なく、(体制妥当に至らない)体制内改革を率先して行う性向がある、と言えるのではないでしょうか。
中東諸国は共和制/君主制、スンナ派/シーア派、親米/反米、アラブ/ペルシャ/トルコなどといった単純な枠組みで理解できるものではありませんし、多くの分割線が入り組んで複雑怪奇な政治地図を作り上げています。断片的な情報で分かった気になってしまうととても危険です。ただ、本書でも指摘されている通り、専門家はともかく、一般の関心という意味では、アラブ/ペルシャの区別すら覚束ないのが現状かと思いますが・・・。
軍最高評議会(SCAF)のタンターウィー議長と、アメリカの在エジプト大使アンヌ・パターソンという二人(…)に共通するキーワードは「パキスタン」に他ならない。
かつてエジプトの在パキスタン大使館付武官だったタンターウィーは、パキスタンの政軍関係を理想化しているらしい。政治は政治家の仕事であるとはいえ、必要な場合は軍が権力の均衡状態を変える権利をもつとするパキスタン軍の考えに、彼は共鳴しているようだ。(・・・)
パターソン大使は、在サウジアラビア大使館参事官や国連代理大使、中南米各国やパキスタンの大使などを経てエジプト大使となった練達の外交官である。9・11事件を皮切りに、米軍のアフガニスタン作戦と同時にパキスタンでのイスラーム原理主義者の勢いが絶頂に達したとき、パキスタン軍やイスラーム関係者らにアメリカの利益を理解させて尊重させた凄腕である。パターソンはこの経験をエジプトで活かそうとしているのではないか。(・・・)
こうした流れを見ると、エジプトが、トルコ型の政教分離国家ではなくパキスタン型の軍主導の穏健イスラーム国家を目指す可能性も排除できない。
ハインゾーンは、社会の主要ポストを独占する実年層(五十ー六十五歳)から青年層がポストを奪う過程で内戦や戦争の圧力が高まると仮定し、青年人口が実年人口の何倍になるかを「内戦指標」とし、合計特殊出生率と並べて分析している。
その結果として、一九七五ー九〇年に内戦に陥ったレバノンの内戦指標は一九八〇年に5であったが、いまは2(合計特殊出生率は1.8)であることが分かる。一九九二年からテロと危機の十年に入ったアルジェリアは、一九九〇年の指標が5だったが、今は2(出生率は1.8)。ハインゾーンは、内戦指標が3(出生率は3)のエジプトとリビアの混乱は、出生率が下がるまでは十五ー二十年は続くと見るので、体制変革や独裁者追放をもってしても内戦の危険は完全には減らないというべきか。それは職のない若者がますます増えるからである。イエメンは5(出生率は4.7)、ガザは5(出生率は4.9)と高く、状況の改善にはさらに長い時間がかかるだろう。一九八九年の東欧民主化とチュニジアやエジプトの政変との違いは、東欧では青年と実年との比率が一対一であったため、政権が後退しても容易にポストを見つけられたが、中東ではそう簡単にはいかないことだ。ハインゾーンは、エジプトで申請権が誕生しても就職口がすぐ増えるわけではなく、イスラーム原理主義の増大やコプト迫害の正当化の恐れがあるとして、社会的安定の難しさを強調している。
アメリカを好きというエジプト人は十五%にすぎず、イギリス人などに植民地統治された屈辱を忘れない国に、民主化を外からもちこもうとすれば、人権外交でイランのパフレヴィー・シャーの専制を崩壊させながらシーア派神権体制をつくらせてしまったカーター政権や、サッダーム・フセインを駆逐しながらイラク戦争後にシーア派中心政権の成立を許したブッシュ政権の失敗の繰り返しになる。
エジプトのムスリム同胞団は、一九二九年以来の長い伝統と歴史をもっている。また、現代のあらゆるイスラーム原理主義の源流だという自負もあるだろう。この似店は事実である。その過去を一挙に清算するのは難しい。しかし、政権の掌握と維持のためにAKPが経験した三つの段階は、八千万人近くを擁する巨大なアラブ国家の責任政党になろうとするならば、参考に値する教材になる。
第一に、AKPが人権と民主主義という言葉と価値を、社会にあまねく広げたことである。第二に、AKPの統治が民主主義の手続きに従っている、と誰からも正当化され理解されるために、人々の支持を得ようと、実績を上げるために躍起になったことである。第三に、AKPを民主主義の正統な担い手であると内外に認知させるために、米欧の影響を強く受けたモダニストや世俗主義者との協力や連合をためらわなかったことである。
こうしてAKPは、世俗主義・安全保障至上主義を金科玉条とする国防軍、また法曹界に支えられた共和人民党(CHP)のエリート主義を、民主主義に似て非なるものとして斥け、既得権益の喪失を恐れてEU加盟にも慎重か反対だったエリート主義者と一線を画したのである。イスラームの伝統を尊重するエルドリアンこそ、EUを加盟を熱心に進めるかたわら、クルド人自治やアルメニア問題の直視など民主化の課題にも積極的に取り組んだのである。AKP性向のキーワードは、人権、民主主義、有権者の意志であった。
AKPが示したのは、イスラーム原理主義から出発した政党のリーダーが公民権や選挙権といっった民主主義の基本概念をわがものとすることで、軍と法曹界と知識人からなるケマリスト・エリートたちの既得権益と支持基盤を狭めながら、内外の改革派の勢力や個人と連携を深めているプロセスである。(・・・)この現実感覚と良質なプラグマティズムこそ、二〇〇二年の総選挙勝利の最大要因であり、その後一貫してAKPを権力の座につけている根拠なのである。
イラン人やトルコ人は政権交代を可能な政治手段で求めてきたが、アラブ人は政府を無視して、それを合法的に代替するパラレルな構造をつくることに満足してきた。イランやトルコとアラブとの違いは、ネーションのあり方、国家の正当性と性格、権力の信頼性などの基本要因に関わる。古代、イスラーム以前からイラン人(農耕民)とトルコ人(遊牧民)は独自の文明をもち、長い歴史の帝国的伝統を有してきた。(・・・)つまり、イランとトルコは”国民国家”として古くから強い正当性をもつのに対して、たいてのアラブの国家は、西欧の植民地分割と人工的な枠組みの創成による人為的な産物だったのである。
(・・・)
アラブ人は個人や社団レベルで、本来は国が果たすべきサービスと同じ内容を市民に提供しながら満足させてきた。国家とパラレルに共存するイスラーム原理主義組織(その社会福祉部門)、部族集団、NGO、私的セクターなどは活発なのである。