あまりのささやかさに涙が出そうですが、リンクさせて頂きます。
アラブのメディアは連日ガザ一色、欧米でも少なくとも話題の中心にあるのに、日本のメディアはやけに「冷静」というか「中立的」というか、色のない報道しかしていないように見えます。「中立」とは、その罪業を自ら負って立つ場合を除いて、常に最悪の選択以外の何ものでもありません。期せずしてそこで語ってしまったもの、口を突くことすらできなかった言葉、そうした饒舌なる沈黙に対し、彼ら、そしてわたしたちは責任を負えるのでしょうか。
とはいえ、メディアをただ責めるつもりはありません。彼らは多くの日本人のこの問題への無関心を映しているだけなのでしょうし、「対岸の火事」というのも一面の真理なのでしょうから。
こういう時、「対岸の火事ではない、人道に対する罪を見過ごせばやがては・・」といった、伝統サヨクのような語らいに堕ちてしまうのは、「説得」という最悪のトラップにはまることです。
対岸の火事です。
でも、対岸の火事を消しに行くのです。
対岸というなら、どこもかしこも対岸です。知りもしない対岸に何かを見つけ、舟を漕ぎ出す時、わたしたちは初めて、主体として呼び出されてしまった業を、彼岸へと返却することができます。燃えているのは、わたしの死体です。