結局のところ、表と裏が入れ替わって、地平線の向こうからわたしが現れるのを発見する場所が分かれ目だ。
現れるのは、見たこともないわたしの背中で、だからそれは鏡ではない。
その場所で、すべてが無価値に帰るのを知る。
ある絵をある角度で見た時だけ浮かび上がる模様のように、ありふれてはいないが、不可視でもない。
税金で賄われるということが、「わたしの」金と映る時の奇妙な屈折のように。
わたしは鳥瞰されるのではない。ただ人ごみのなかに発見されるのだ。
花が赤く蝶の羽に目玉の模様が描かれるように、視覚の発見以前に見られる者として。
あらゆるつまらないものの中で、発見は起こりうるが、あらゆるつまらないものに意味はない。
ただ予め発見されたものを、唯一と識ることが、分かれ目だ。