わたしの知らないことには二種類あって、誰が知っているのかわたしが知っていることと、誰が知っているのかわたしが知らないことだ。
誰も知らない、ということは「不可能」だ。
不可能だというのは、不可能の可能性として含まれているということで、誰が知っているかわたしが知らない時、そこには誰も知らないという可能性が織り込まれている。ただ、誰も知らないのか、誰かが知っているのにわたしが知らないだけなのか、知ることができない。誰も知らないことは、不可能な現実として織り込まれる。
わたしが知っているか知らないか、という境界ではなく、誰が知っているのかわたしが知っているか知らないか、という境界が決定的だ。
言い換えれば、Aが知っている、ということと、「誰か」が知っている、ということになる。
「誰か」が「誰でもない者」なのかどうかは、わたしには知ることができない。
誰かが知っていれば良いということが沢山あって、多くの場合、誰も知らないでも構わないことだが、誰かが知っていると知ることと、誰も知らないと知ることには大きな違いがある。なぜなら、誰も知らないと知ることは不可能だからだ。
誰かが知っている。