Categories: メモ雑記

煙草とイスラームのこと

 少し前に常岡浩介さんがTwitter上で「煙草は(直接クルアーン中での言及はないが)身体を害することからハラームではないか」と仰っていました(うろ覚えなので違ったらごめんなさい)。そう仰る方は結構いらっしゃいますし、理解も出来るのですが、ちょっと危険かな、と感じています。
 「身体に悪いから」なんて言い始めたら、悪者になりそうなものなんていくらでもあり、かつ何をもって「悪い」とするのか、どの程度から「悪い」とするのか、議論の余地が多いにあります。かつ、この方向で突き進むと、禁煙ファシズムではないですが、特殊現代的な倒錯的健康妄想と同じような暴走に陥るリスクがあります。
 ただでさえも、飲食物関係のハラーム話は、しょうもない強迫神経症的ゲームに陥りがちなので、変な方向で刺激してしまうと、またこの手の話が好きな人たちを喜ばせてしまうだけです。
 ですから、意図は重々理解し、かつまた「身体を害するがゆえにハラーム」という理屈を一旦受け入れるにしても、それを「公言してしまう」ことには慎重にならなければならない、というのがわたしの意見です。

 ついでに言えば、「身体を害するがゆえにハラーム」というロジック自体も、「身体を害する」というところが曖昧すぎて、上述のようなリスクの方が大きいように思われるため、あまり好ましい方法だとは思えません。
 煙草については、聖典中で当然ながら言及がなく、かつ「酩酊させるもの」にも該当しないため、本当に色んなことを言う人がいます。逆に言えば、少なくとも見解の一致は見ていないわけで、この段階で軽々にハラームというのは、害の方が大きいのではないでしょうか。多分、煙草の害より大きいです(笑)。
(当然ながら、身体の所有者がアッラーであるとしないなら、どういう根拠をもってしても煙草を禁止できる余地などない。身体に悪いものを、例えば医療費抑制などということを根拠に国家という偶像が管理しているのが、領域国民国家だ)

 ちなみにわたし自身は、今は吸っていませんが、元喫煙者です。現在吸っていないのは、単に歯が汚れるのが嫌なのとお金がないからで(地域によっては女性の喫煙が白い目で見られるから、というのもありますが)、煙草そのものは雰囲気的にヤサグレていて好きですし、ヤサグレた人生を送っている自分にもピッタリだと思っています。でも、喫煙者が「煙草ハラーム論」に反対すると、圧倒的に説得力が失せてしまいます。「煙草ハラーム論」と戦うために、個人的には残念ながら(なるべく)吸わないで生きていこうと思っています。
 煙草が(多分)ハラールなお陰で無駄に納税しないで済みます、アルハムドリッラー!

kharuuf

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