Categories: ノコリモノ

キカイカ

 最後に残る「自然」への暗黙でナイーヴな信頼と、過剰な人口性に彩られる人間たち。
 この国の女たちはどうだ。機械のようなものに取り憑かれてしまって、そのレースから降りることもできない。
 「自然」への暗黙の信頼など備えていない人々が、余程「自然」に見えるのはどうしてなのか。
 いかに人間を機械化しても、最後には「自然」が迎に来てくれる、という甘えなのか。
 多分、身体の境界ということか鍵になる。

kharuuf

Share
Published by
kharuuf

Recent Posts

カミユ『ペスト』

 カミユの『ペスト』を漫画化し…

6か月 ago

私信です

このポストはまったくの私信です…

3年 ago

不可知論のギリギリ一歩手前で永遠に宙吊りにされた

何が正解かわからないから人はパ…

3年 ago

体験の墓石

写真は多くの場合、最初は体験と…

3年 ago

過去が圧倒的にわたしたちを飲み込んでいる

過去を肯定する、という言い方は…

4年 ago